『カンテラ日誌』
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1936年から無人化まで職員が『カンテラ日誌』を綴っていた。厳しい環境下での建設作業や観測、太平洋戦争中の米軍機による都市部への空襲、測候所への機銃掃射(1945年7月10日)、大日本帝国陸軍による高地炊飯実験、イノシシの出現、英国海外航空機空中分解事故(1966年)目撃談など貴重な記録が含まれる。1985年には抜粋が『カンテラ日記 富士山測候所の50年』(筑摩書房)として出版されている。 無人化に伴い東京管区気象台に移管され、2012年には44冊の存在が確認されていた。同気象台は、2018年3月の『毎日新聞』による情報公開請求に対して「不存在」「職員が私的に記したもので公文書にはあたらず、保管義務はない」と回答した。同年8月には行政文書には該当しないため、2017年11月以降に「文書整理の一環」として廃棄したことを明らかにした。
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