「越郡」出自
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/15 22:21 UTC 版)
『三国史記』百済本紀の分注に、朱蒙が卒本(朝鮮語版)夫餘に至った際に越郡の娘を得て二子をもうけたとする記事がある。 或云:「朱蒙到卒本,娶越郡女,生二子。」 — 三国史記、巻二十三 中国語版ウィキソースに本記事に関連した原文があります。三國史記/卷23#温祚王 「二子」とは、温祚と沸流のことであり、井上秀雄は「越郡」について、「中国浙江省紹興地方か」と注記している。すなわち、浙江省紹興の娘が、遼寧省丹東市桓仁県に来て、朱蒙との間に、百済の始祖となる温祚と沸流を生む。拝根興(陝西師範大学)および葛継勇(鄭州大学(中国語版))は西安出土の在唐百済人墓誌の釈文のなかで、亡命百済貴族に「楚国琅邪」を籍貫(中国語版)とする人物がいることを指摘している。山東半島から江南に及ぶ中国沿海部と百済の関係から考えて、中国沿海から東渡した集団、山東から遼東を経て朝鮮半島に到達したと考えられる集団と同じ行跡を辿った集団との関連性が指摘されている。
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