「蝶々夫人」と「お菊さん」の関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/21 07:25 UTC 版)
「蝶々夫人」の記事における「「蝶々夫人」と「お菊さん」の関係」の解説
「蝶々夫人」の先行作品として、フランスの作家ピエール・ロティの小説「マダム・クリザンテーム(お菊さん)」と、この小説に基づくアンドレ・メサジェ作曲の歌劇「お菊さん」の存在は広く知られていた。メサジェの弟子で作曲家のアンリ・フェブリエ(1875-1957)が、1947年にJEUNESSE DE LA MUSIQUE誌に寄稿した、メサジェの思い出「私の師、私の友人」という文章によれば、1892年夏メサジェとプッチーニはリコルディ出版社社長ジュリオ・リコルディの招待で、イタリアのコモ湖畔のヴィラ・デステに共に滞在して、メサジェは「お菊さん」を、プッチーニは「マノン・レスコー」を作曲した。そしてお互いのスコアを弾き合い研究した。つまりプッチーニは「お菊さん」の作曲の場にいた。またプッチーニはロティの小説「マダム・クリザンテーム」も読んでいた。この結果、それから10年後にプッチーニが蝶々夫人を作曲した際、メサジェの「お菊さん」をヒントにしたと思われる。顕著な類似点として、蝶々夫人第2幕冒頭のスズキの祈りの場面と、お菊さん第2幕冒頭のお梅の祈りの場面、また花の二重唱の後半と、お菊さんとお雪の二重唱ははっきりと類似点が認められる。それ以外にも、ゴローと勘五郎の扱いや結婚式の場面、さらに日本のメロディーの扱いなど、多数の類似点が認められる。
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