「相殺論」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 13:53 UTC 版)
秦郁彦は「南京虐殺が話題になると通州事件を持ち出して相殺しようとする人が少なくない。中村氏はさすがにパスしたが、本誌十月号の「まいおぴにおん」欄で、田久保忠衛氏が「冀東政府の所在地だった通州などで日本人が受けた惨劇はどう考えたらいいのか」と相殺論を展開している。」と主張した。大杉一雄は「通州事件を「南京大虐殺」と対抗させてとりあげる向きがあるが、両者はその規模も性格もまったく違うことを認識すべきである」と主張した。清水潔は「どんな原因にせよ民間人が戦争に巻き込まれる事など、あってはならない。そして「通州事件」と「南京事件」を並列に論じても、そのどちらもが虐殺であった、ということにしかならない。」と主張した。広中一成は「日本の保守系の一部から、通州事件を利用して中国を批判する言説が出るようになった、彼らは通州事件で日本居留民を虐殺した中国人である保安隊の残虐性を強調しているが、これは戦前、日本軍や外務省、日本の主要紙による通州事件を使った反中プロパガンダと変わらない。」と主張した。
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