「火焔土器」と「火焔型土器」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/16 09:32 UTC 版)
「火焔型土器」の記事における「「火焔土器」と「火焔型土器」」の解説
火焔型土器が初めて出土したのは新潟県長岡市の馬高遺跡で、1936年に近藤篤三郎らの調査によった。この調査による出土第1号の土器のみを「火焔土器(馬高A式1号深鉢土器)」(長岡市所蔵。長岡市馬高縄文館で展示。馬高縄文館完成前は長岡市立科学博物館で展示)と通称し、他のものや他遺跡出土のものを「火焔型土器」と呼ぶ慣習がある。また、以前は「火焔形土器」と記述されていたが、最近では「火焔型土器」とされることがほとんどとなっている。ほかにも「火焔形式」、「火焔類型」、「火焔系」などの名称が存在する。加えて、「火炎」が使用される場合については、用例として「火炎土器」と「火炎土器様式」があり、「火焔」よりも広い概念(例えば火焔(型)土器と王冠型土器とを包括するものとして)を表していることが多い。以上の例は考古学的な概念規定の相違によるものであるため、研究者によって使用法が異なることがある。他方、かつて「火焰」の字が用いられていたものが最近「火焔」とされることが多いことについては、字体の移り変わりによるもので、概念的には同じである。
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