「湖畔詩人」への攻撃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/16 04:38 UTC 版)
「フランシス・ジェフリー」の記事における「「湖畔詩人」への攻撃」の解説
ロマン主義詩人に対しては、『エディンバラ・レビュー』創刊号でロバート・サウジーのThalaba the Destroyer(1801)を批判したことに始まり、1807年の11号でワーズワースの1807年詩集(Poems, in Two Volumes)にも厳しい批評を加え、彼らの詩が独創性を謳いながら実際は陳腐な情緒に終始するものと主張し、攻撃、嘲笑した。18号(1811年)でのジョン・フォードの劇作品の書評では、ワーズワース、サウジー、サミュエル・テイラー・コールリッジ、ジョアンナ・ベイリー(Joanna Baillie)らについて、「(先人の文学者らの)作法を模倣し、その特異な面だけを猿真似している。結局彼らは最も自由で因習に無頓着な詩作家と自認しているが、彼らの文体は明らさまに、また忌々しいほど作為的である」と断じた。コールリッジは1817年の『文学的自叙伝』(Biographia Literaria)第3章で、ジェフリーによる自分達への批判に応答した一方、ジェフリーもそのコールリッジの反論に応える形で、『エディンバラ・レビュー』23号(1817年)に掲載されたウィリアム・ハズリットによる『文学的自叙伝』への書評に編集者として注を付け、改めて彼らの詩を「めそめそしていて気が病んでいる("whining and hypochondriacal")」とこき下ろしている。なお、「湖畔派」("Lake School")という蔑称はこの注においてはじめて用いられた。
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