「南部の未亡人」キャリー・ウィンダー・マギャヴィック
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/11 10:16 UTC 版)
「カーントン」の記事における「「南部の未亡人」キャリー・ウィンダー・マギャヴィック」の解説
戦いの後、キャリーは南軍を支持する善きサマリア人の軍人を招いた。翌朝彼女は朝食を作ったが、多くの兵士がフランクリンの戦いによりこのプランテーションの邸宅内外で亡くなったため目撃者によると彼女の服の裾は血まみれであった。初日だけで少なくとも150名が亡くなった。 キャリーの2人の子供、ハッティ(当時9歳)と息子ウインダー(当時7歳)は大虐殺を目撃し、また医師の治療の簡単な手伝いもしたとされる。邸宅の床のほとんどが南軍兵の血に染まり、カーペットを通して木の床にも染み込んだ。多くの血痕が現在も残っている。手術室として使用された子供の寝室に最もひどい血痕が残っている。現在この部屋では当時の医療器具を展示している。
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