「北政所」称号の成立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/04 14:10 UTC 版)
平安時代の親王や三位以上の公卿には、自身の家庭や邸宅に関する私的な諸事を司る事務所を自邸内に開設することが許されていた。このような私的な事務所のことを、「家政を司る所」という意味から政所といった。 当時の貴族は寝殿造とよばれる、数々の家屋を渡り廊下でつないだ内裏のような構造の邸宅に居住していた。そこでは、半ば公の場所でもあった正殿の「寝殿」とは別に、その北に「北対」という私的な居住棟があり、そこでは主の正室である北方(きたの かた、北の方とも)が家政の諸事万端を決裁していた。正室の地位がこのように高かったのは、当時の貴族は基本的に婿取婚だったため、彼らの邸宅はそもそも正室の実家が所有するものに他ならなかったからである。そしてその邸宅の主が三位に上って政所を開設すると、「北方」は「北政所」と呼ばれたのである。 したがってかつては、三位以上の公卿の正室はみな「北政所」と呼ばれていた。しかし時代が下るとこれが格式化して、「北政所」は宣旨をもって贈られる称号となり、しかもその対象は摂政または関白の正室のみに限られるようになった。
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