「于山島=独島」説とその批判
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/11 07:33 UTC 版)
「于山島」の記事における「「于山島=独島」説とその批判」の解説
韓国政府の公式見解は以下のようなものである。 鬱陵島は、羽陵、武陵、鬱陵などと呼ばれていたのに対して、独島は于山あるいは三峰島と呼ばれていた(1953年7月13日付韓国政府見解)。 ここに韓国政府は、文献上の于山島が間違いなく現在の独島(日本でいう竹島)だということを再び指摘しなければならない(1954年9月25日付韓国政府見解)。 大韓民国政府は、すでに朝鮮時代初期から、韓国が二名二島の島々として于山島と鬱陵島を認知しており、また、于山島が独島(現在、日本でいうタケシマ)であることを、具体的な文献に基づいて主張してきた(1956年9月20日付韓国政府見解)。 しかし、韓国の呉庠学は、于山島を独島に比定するのは慎重であるべきで、実在する島とみなすよりは想像上の島とみなす方が理にかなっていると指摘している(呉庠学「朝鮮時代地図に表現された鬱陵島、独島認識」2006年)。 また、『反日種族主義』の著者李栄薫は、同書のなかで「独島(竹島)が韓国の領土であるとの証拠は何もない」とコメントしている。
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