「一元論」について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/12 04:54 UTC 版)
続いて「一元論」に話題を移し、客人は、「一元論者」は、 「1つのもの」だけが「ある(有)」。 と主張するが、 同じものを、「1つのもの(一者)」と「ある(有)」という、「2つ」の別の「名前」で呼んでしまっている。 またそもそも、「名前」自体の「存在(有)」を認めるならば、もう1つの「存在(有)」を認めてしまうことになる。(逆に、「名前」自体の「存在(有)」を認めないならば、「名前」はその機能を果たせなくなってしまうことになる。) と指摘する。 また客人は、「一元論者」は、 「実在する一者(有/一者)」は、「全きもの(全体)」でもある。 と主張するが、 (パルメニデスがそれとして主張する「球」における、「中心」と「端」のように)「部分」を持っているものは、それらをひとまとめ(一つのもの)にして「総体/全体」とみなすことはできるが、(部分に分けることができない)「一者」とは、みなすことはできない。 このように、「有るもの(有)」と「全きもの(全体)」の関係性/整合性、「一つのもの」と「一なるもの(一者)」の区別/差異を巡っては、様々な「困難」が生じる。 等と指摘する。 そして、客人はこのように、「多元論」でも「一元論」でも、まだまだ述べきれないほどの無数の「困難」が生じてくると指摘する。テアイテトスも同意する。
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