「マネーボール」時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/12 23:07 UTC 版)
「オークランド・アスレチックス」の記事における「「マネーボール」時代」の解説
1990年代以降はまたも主力選手放出や引退で低迷、球団の予算も限られる中、2000年代に入るとビリー・ビーンGMのもとセイバーメトリクスを導入したドラフト戦略や若手選手の育成が奏功し、プレーオフの常連となるなど強豪の一角に返り咲いた。2001年と2002年にはリーグ最低レベルの年俸総額ながら2年連続でシーズン100勝を達成した。なお、これらの改革と躍進を描いたノンフィクション『マネー・ボール』、さらに同書を映画化した「マネーボール」がいずれもヒットした。 一方でこうして主力に育った選手を他チームに放出し、若手有望株を獲得し育成といったことを繰り返している。黄金期を支えたティム・ハドソンやバリー・ジト、マーク・マルダーの放出で獲得したダン・ヘイレンら若手投手が躍進したが、いずれも他球団へ移籍した。 2007年には9年ぶりに勝率5割を割るなど成績も低迷。 2009年にはマット・ホリデイらを獲得するなど積極的な補強を行ったが、故障者が続出し開幕から低迷するとホリデイも7月にトレードで放出。11年ぶりの地区最下位に転落し、観客動員は30球団で最低の140万8783人(1試合平均1万7392人)まで落ち込んだ。
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