‐サクラ大戦の開発‐
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/21 07:30 UTC 版)
1996年にSS向けアドベンチャーゲーム『サクラ大戦』を制作する。企画立ち上げからの参加ではなく、開発が難航していた状態から引き継いだ形で担当した。 見事に立て直して完成に漕ぎ着けた手腕は、総合プロデューサーである広井王子に「あの時の大場さんは救世主だった」と言わしめたほど。『サクラ大戦』は記録的なヒットを飛ばし、1996年のCESA大賞ではみごと大賞を受賞。以後4本のナンバリングタイトル他、音楽CD、アニメ、劇場公演などマルチメディアに展開される大型シリーズとなった。株式会社オーバーワークスへ移籍(後述)して以降もエグゼクティブ・プロデューサーとしてシリーズタイトルの制作を行う。同ゲームシリーズのアニメ作品『サクラ大戦TV』では監修を、OVA『エコール・ド・巴里』『ル・ヌヴォー・巴里』ではエグゼクティブ・プロデューサーを、株式会社レッドカンパニー(後のレッド・エンタテインメント)の名越康晃とともに務めるなど、ゲーム以外のメディア作品の制作にも精力的に取り組んだ。
※この「‐サクラ大戦の開発‐」の解説は、「大場規勝」の解説の一部です。
「‐サクラ大戦の開発‐」を含む「大場規勝」の記事については、「大場規勝」の概要を参照ください。
- ‐サクラ大戦の開発‐のページへのリンク