鳳来寺鉄道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/29 00:16 UTC 版)
車両
蒸気機関車
- 1, 2
- 開業時にドイツのオーレンシュタイン・ウント・コッペル社から25トン級車軸配置0-6-0(C)のタンク機関車2両(1922年10月製。製造番号 10291・10292)が輸入され、1・2となっている。1は、1937年に磐城セメントに譲渡され、同社の1となった後C251に改番された。2は、電化に伴って豊川鉄道に譲渡され、同社の5となった後、1929年に神中鉄道に譲渡され、同社の10となった[8][9]。両機は出力180HPと、日本に入ったコッペル機の中では、大型部類に属する。
- 鉄道統計では蒸気機関車は開業時より昭和12年度まで終始1両であるが、金田によると開通時は2両であったとする。
電気機関車
電車
- モハ10形 (10)
- 1925年(大正14年)7月、日本車輌製造製15m級木造電車で、豊川鉄道モハ10形 (11 - 15) は同形車である。製造時はモハ1形 (1) であったが、1937年(昭和12年)6月にモハ10形 (10) に改められた。国有化後は、田口鉄道のモハ36, 37と交換される形で、同鉄道線内の列車に使用された。1951年(昭和26年)4月に廃車され、大井川鉄道に譲渡されてモハ201となり、1968年(昭和43年)まで使用された。
- モハ20形 (20)
- 1927年(昭和2年)1月、川崎造船所製17m級半鋼製車で、豊川鉄道モハ20形 (21・22) は同形車。製造時はモハ2形 (2) であったが、1937年6月にモハ20形 (20) に改番された。1952年(昭和27年)に宇部線に転属、1953年(昭和28年)2月に福塩線に転属した。同年6月には国鉄車両形式称号規程の改正により、同形車の旧豊川鉄道のモハ21・22が1600形になったのに対してモハ1700形 (1700) となった。これは、1949年(昭和24年)に機器を国鉄標準仕様に換装し、100kW電動機を装備していたため別形式となったものである。その後、豊川分工場の入換え車として豊橋機関区に戻ったが、1965年(昭和40年)に廃車となり、伊豆箱根鉄道に譲渡されて同社のモハ35となった。
車両数変遷
年度 | 機関車 | 客車 | 電車 | 貨車 | |||
---|---|---|---|---|---|---|---|
蒸気 | 電気 | ロハ | ハ | 有蓋 | 無蓋 | 計 | |
大正11 | 1 | 2 | 2 | 2 | |||
大正12・13 | 1 | 2 | 4 | 17 | 21 | ||
大正14 | 1 | 1 | 2 | 1 | 4 | 17 | 21 |
昭和元 - 11 | 1 | 1 | 2 | 2 | 4 | 17 | 21 |
昭和12 | 1 | 1 | 2 | 4 | 17 | 21 | |
昭和13・14 | 1 | 2 | 4 | 17 | 21 | ||
昭和15 - 17 | 1 | 2 | 2 | 17 | 19 |
- 「飯田線を走った車両」43頁より
注釈
出典
- ^ a b c d e f 『地方鉄道及軌道一覧. 昭和18年4月1日現在』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 中川浩一「飯田線形成への途」『鉄道ピクトリアル』No.416 1983年5月号、13頁
- ^ 豊川鉄道専務取締役倉田藤四郎名義5900株、個人名義100株。1株50円
- ^ 昭和5年に社長に就任
- ^ 「鉄道免許状下付」『官報』1921年5月10日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1923年2月3日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「鉄道省告示第204号」『官報』1943年7月26日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 金田茂裕「O&Kの機関車」1987年、エリエイ出版部(プレス・アイゼンバーン)刊 ISBN 4871126161
- ^ 沖田祐作「三訂版 機関車表(下巻)」1996年、滄茫会刊
- ^ a b 鉄道省(編)『鉄道停車場一覧 昭和12年10月1日現在』、川口印刷所出版部、1937年、352-353頁(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『電気事業要覧. 第19回 昭和3年3月』(国立国会図書館デジタルコレクション)
固有名詞の分類
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