魯迅
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日本語作品集
- 『魯迅美術論集』 全2巻、張望編、小野田耕三郎訳、未來社
- 『魯迅文集』 全6巻(代表作品集) 竹内好訳、筑摩書房、新版ちくま文庫
- 『魯迅全集』 全20巻(相浦 杲 ほか 編集)1989年、学研
- 『魯迅選集』 全13巻、岩波書店 新書版で訳文は古い
魯迅と仙台
仙台医専時代の魯迅を描いた作品に太宰治の『惜別』がある。この「惜別」ということばは、仙台医専時代に、魯迅に個別添削を授けるなど何かと気を配っていた恩師、藤野厳九郎が最後に魯迅に渡した写真の裏に書いたことば。福井県 あわら温泉駅の西側の藤野厳九郎記念館に写真や魯迅のノートの複製などがある。その藤野との関係は、小説『藤野先生』に以下のように描かれている。
「私の講義、ノートが取れますか?」とかれは訊ねた。「どうにか」 「見せてごらん」 私は筆記したノートをさし出した。かれは受け取って、一両日して返してくれた。そして、今後は毎週持ってきて見せるようにと言った。持ち帰って開いてみて、私はびっくりした。同時にある種の困惑と感激に襲われた。私のノートは、はじめから終りまで、全部朱筆で添削してあり、たくさんの抜けたところを書き加えただけでなく、文法の誤りまでことごとく訂正してあった。このことがかれの担任の骨学、血管学、神経学の授業全部にわたってつづけられた。-中略- だが、なぜか私は、今でもよくかれのことを思い出す。わが師と仰ぐ人のなかで、かれはもっとも私を感激させ、もっとも私を励ましてくれたひとりだ。私はよく考える。かれが私に熱烈な期待をかけ、辛抱づよく教えてくれたこと、それは小さくいえば中国のためである。中国に新しい医学の生れることを期待したのだ。大きくいえば学術のためである。新しい医学が中国に伝わることを期待したのだ。私の眼から見て、また私の心において、かれは偉大な人格である。その姓名を知る人がよし少いにせよ。魯迅「藤野先生」訳は竹内好『魯迅文集』第二巻、1976、p150・p154
魯迅は、1904年(明治37年)9月から1906年(明治39年)3月までの約1年半しか仙台にいなかったが、仙台市や東北大学では、様々な面で魯迅を通じた交流を中国と行っている[38]。中国人にとっては、東北大学・片平キャンパスにある(旧)仙台医専の「階段教室」がよく知られており、1998年(平成10年)11月29日には江沢民・中国共産党中央委員会総書記も訪問している。訪問した中国人は、魯迅がいつも座っていたとされる同教室の中央帯、前から3番目の右端近くでの記念撮影をしている。その他、同キャンパス内に「魯迅先生像」(1992年10月19日設置)、仙台城三の丸の仙台市博物館敷地内に「魯迅の碑」(1960年12月設置)と「魯迅像」(2001年設置)がある。また、「魯迅旧居」が片平キャンパス正門近くにあったが、2019年5月に解体[39]され石碑のみが残る。
2004年(平成16年)、東北大学は、魯迅の留学100周年を記念して、同大に縁りのある中国要人に『東北大学魯迅賞』、同大大学院に在籍する優秀な中国からの留学生に『東北大学魯迅記念奨励賞』を贈った[40][41]。ただし、諸事情により、翌年から各々『東北大学藤野先生賞』と『東北大学藤野記念奨励賞』に名称変更された。東北大学の創立100周年を記念して、魯迅と藤野厳九郎の胸像が仙台市内のキャンパスに設置された。また、2011年(平成23年)7月19日、東北大学史料館に「魯迅記念展示室」が設置され、9月28日にオープニングセレモニーが実施された。
青葉区米ケ袋にある魯迅が下宿した「佐藤屋」の跡地には石碑が建てられる程度であったが、中国人の留学生や観光客が訪れることから、留学100周年となる2004年に歴史遺産として整備するため市が地権者から土地を取得する方針を表明、2019年5月に木造住宅を解体し、2022年3月に「米ケ袋一丁目公園」としてオープンした[39]。
脚注
- ^ “魯迅と東北大学-歴史のなかの留学生 | 東北大学史料館 魯迅記念展示室”. www2.archives.tohoku.ac.jp. 2024年1月24日閲覧。
- ^ “UTokyo BiblioPlaza”. www.u-tokyo.ac.jp. 2024年3月22日閲覧。
- ^ 藤井(2011年)25ページ
- ^ 藤井(2011年)27ページ
- ^ a b c d e 夏(2011年)11ページ
- ^ a b 藤井(2011年)まえがき1ページ
- ^ a b 井波(2005年)192ページ
- ^ a b c d 夏(2011年)13ページ
- ^ a b c 藤井(2011年)55ページ
- ^ a b c d 夏(2011年)14ページ
- ^ 「名言巡礼 国籍超えた「惜別」の証し」読売新聞2016年3月20日日曜版
- ^ 『[337]「藤野先生」根幹部分は虚構か 魯迅小説言語拾零(4)』(プレスリリース)一般財団法人日本中国語検定協会、2014年2月7日 。2021年12月12日閲覧。
- ^ 仙台における魯迅の記録を調べる会 (1978-02-01), 仙台における魯迅の記録, pp. 143-148, ISBN 978-4582826180
- ^ “医学から文学へ”. 魯迅と東北大学-歴史の中の留学生-. 東北大学. 2021年12月19日閲覧。
- ^ a b 渡辺襄 (2021年1月11日). “魯迅と仙台留学-魯迅の見た露探処刑「幻灯」に関する資料と解説-”. 日本中国友好協会 宮城県支部連合会. 2021年12月19日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l 夏(2011年)15ページ
- ^ 莫邦富『中国人は落日の日本をどう見ているか』(1998年 草思社)
- ^ “白木蓮”. 圓覚寺山内佛日庵. 2021年1月13日閲覧。
- ^ a b 井ノ口(2012年)173ページ
- ^ 藤井(2011年)80ページ
- ^ a b 夏(2011年)17ページ
- ^ a b c 伊藤(2005年)97ページ
- ^ a b c d 井波(2005年)193ページ
- ^ a b c d 藤井(2011年)99ページ
- ^ a b c 藤井(2011年)112ページ
- ^ 夏(2011年)40ページ
- ^ 藤井(2011年)113ページ
- ^ a b 藤井(2011年)114ページ
- ^ a b c d e f g 藤井(2011年)119ページ
- ^ a b c d e 藤井(2011年)122ページ
- ^ a b c 藤井(2011年)208ページ
- ^ a b c d 藤井(2011年)209ページ
- ^ a b c d 井波(2005年)194ページ
- ^ 大島(2011年)14ページ
- ^ 大島(2011年)16ページ
- ^ 藤井(2011年)210ページ
- ^ 藤井(2011年)104ページ
- ^ 魯迅特集(東北大学・まなびの杜)
- ^ a b 魯迅の下宿跡地、仙台市が記念広場化 21年3月完成予定 - 河北新報
- ^ 日中今昔ものがたり「人的財産」賞に(asahi.com)
- ^ 東北大学魯迅記念奨励賞(東北大学)
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