越智二良 越智二良の概要

越智二良

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/06 19:21 UTC 版)

人物

小学校では藤野古白の弟である藤野滋と同級生であった[2]。投書雑誌『文章世界』に「越智水草」「落二郎」という筆名で投稿していた[2](「サフラン酒」は『文章世界』の優秀作を厳選した田山花袋編『二十二篇』東雲堂1910年にも収録された)。1909年5月に創刊された雑誌『四国文学』では2巻5号まで編集者を務めた[3][4]。愛媛県立松山商業学校(現・愛媛県立松山商業高等学校)を卒業後、海南新聞社(現在の愛媛新聞社)に入社。1913年5月に同紙一面に文芸欄が新設された際、担当者に就く[5]。同年7月、越智水草『小品 草愁』(清平調社)刊行(序文は服部嘉香)。1918年、朝日新聞社に入社。大阪本社学芸部長を最後に1943年退社。その後は、松山市文化財委員、県史編纂委員会、伊予史談会委員、松山子規会会長(三代目)、愛媛県立図書館館長[6]等を務めた。愛媛県教育文化賞、勲五等双光旭日章、愛媛新聞社賞、愛媛放送賞などを受賞した[1]

1991年4月18日、急性肺炎のため死去[1][7]。100歳没。

著書

  • 『小品 草愁』(1913年、清平調社) 
  • 『子規歳時』(1956年、朝日新聞松山支局)
  • 『愛媛の先覚者 1 井上正夫』(1965年、愛媛県教育委員会) ※「序」「エピローグ」から越智が執筆したことが分かる。
  • 『柳原極堂書翰集』(1967年、極堂会)[8]
  • 『愛媛の句碑歌碑』(1972年、伊予史談会)
  • 『子規と松山』(1972年、愛媛文化双書刊行会) ※解説を担当。
  • 『虚子のふるさと』(1973年、愛媛文化双書刊行会) ※解説を担当。
  • 『たれゆえ草』(1977年、松山子規会)
  • 『しのぶ草』(1977年、松山子規会)
  • 『子規歳時 新訂版』(1981年、松山子規会)
  • 『子規こそわがいのち 』(1991年、松山子規会)
  • 『『草愁』など』(1992年、松山子規会)

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