観世音寺 歴史

観世音寺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/09 07:56 UTC 版)

歴史

九州随一の仏像彫刻の宝庫である観世音寺の縁起は伝わっておらず、関連文書として最も古いものは延喜5年(905年)成立の「観世音寺資財帳」(東京藝術大学所蔵、国宝)である。

続日本紀』の記述によると、観世音寺は、天智天皇が母斉明天皇の追善のために発願したという。斉明天皇は661年に没していることから、それからほどなく造営が始められたと推定される[2]。『二中歴』には観世音寺創建は白鳳年間(661年-683年)のことであるとの記事が見える。『続日本紀』の和銅2年(709年)の記事によると、この時点で造営はまだ完了しておらず、完了したのは発願から約80年も経った天平18年(746年)のこととされる[3]

観世音寺境内から出土した瓦のうち、創建時の瓦とされるものは、老司 I式と称され、飛鳥の川原寺藤原京の瓦の系統を引く、複弁八弁蓮華文の軒丸瓦と偏行唐草文の軒平瓦の組み合わせからなるものである[4]。この老司 I式瓦は現在の福岡市南区老司にあった瓦窯で焼造されたもので、7世紀にさかのぼる。また観世音寺に現存する梵鐘は、正確な鋳造年次は不明ながら、「戊戌年」(698年)の銘がある京都妙心寺梵鐘と同一の木型によって鋳造された兄弟鐘とみなされる。これらのことから、7世紀末ころまでにはある程度の寺観が整っていたものと推測される。

現在残る観世音寺の建物はすべて近世の再建で、昔の面影はないが、発掘調査によると、回廊で囲まれた内側の東に塔、西には金堂が東面して建つ、川原寺式に近い伽藍配置であった。その後天平宝字5年(761年)、鑑真によって当寺に戒壇院が設けられた。これは、僧になる者が受戒をするためにわざわざ都へ出向かずとも、観世音寺で受戒ができることを意味した。

また、紫式部が著した源氏物語玉蔓の巻に「清水の御寺の観世音寺」との記述がある。

平安時代以降の観世音寺は、たび重なる火災や風害によって、創建当時の堂宇や仏像をことごとく失った。康平7年(1064年)には火災で講堂、塔などを焼失。現存する当寺の仏像は、大部分がこの火災以後の復興像である。康和4年(1102年)には大風で金堂、南大門などが倒壊している。金堂はその後復旧したが、康治2年(1143年)の火災で再度焼失している[5]

寛永7年(1630年)の暴風雨で、当時唯一残っていた金堂が倒壊し、観世音寺は廃寺同然の状況に追い込まれた。翌寛永8年(1631年)に金堂が、元禄元年(1688年)には講堂(本堂)が藩主黒田家博多の豪商である天王寺屋浦了夢らによって復興されたが、昔の面影には遠く及ばない。当初は「八宗兼学の寺」とされ、平安時代後期以来、東大寺の末寺であったが、明治時代以降は天台宗の寺院となっている[6]

大正2年(1913年)から同4年にかけて、傷みの激しかった諸仏の修理が行われた[7]昭和34年(1959年)には鉄筋コンクリートの宝蔵が完成。これは、寺院の文化財収蔵庫としては早い時期につくられたものである。宝蔵には像高5メートル前後の巨像3体(馬頭観音不空羂索観音十一面観音)をはじめ、金堂、本堂(講堂)に安置されていた諸仏が収蔵・公開されている。


  1. ^ 金堂本尊は阿弥陀如来(現在は宝蔵に安置)、講堂本尊は聖観音であるが、天台宗九州西教区のサイトにある観世音寺の紹介ページ 観世音寺, http://www.tendai924.com/kanzeonji/ によると、宗教法人観世音寺の規則上の本尊は、現在宝蔵に安置されている聖観音坐像(旧講堂本尊)であるという。なお、現在講堂に安置されているのは上述の聖観音坐像とは別の、立像の聖観音像である。また、上述のサイトによれば、創建当初の本尊は不空羂索観音で、平安時代後期に聖観音が本尊になった。
  2. ^ 九州歴史資料館(2006), p. 12.
  3. ^ 九州歴史資料館(2006), p. 18.
  4. ^ 九州歴史資料館(2006), p. 13.
  5. ^ 九州歴史資料館(2006), p. 26.
  6. ^ 九州歴史資料館(2006), p. 40.
  7. ^ 九州歴史資料館(2006), p. 72.
  8. ^ a b 九州歴史資料館(2006), p. 79.
  9. ^ 金堂内のかつての仏像安置状況の写真は『観世音寺大鏡』に掲載されている(参照:国立国会図書館デジタルコレクション、211コマなど)
  10. ^ 講堂内のかつての仏像安置状況の写真は『観世音寺大鏡』に掲載されている(参照:国立国会図書館デジタルコレクション、15コマなど)
  11. ^ 境内の説明は(九州歴史資料館(2006), p. 50-67)による。
  12. ^ 九州歴史資料館(2006), p. 70.
  13. ^ a b 九州歴史資料館(2006), p. 72-81.
  14. ^ a b 九州歴史資料館(2006), p. 75,80.
  15. ^ 九州歴史資料館(2006), p. 73.
  16. ^ a b 九州歴史資料館(2006), p. 75,80,81.
  17. ^ 猪川和子 1957, p. 2129.
  18. ^ 猪川和子 1960, p. 35.
  19. ^ 九州歴史資料館(2006), p. 75,81.
  20. ^ 九州歴史資料館(2006), p. 77.
  21. ^ 杉山洋『梵鐘』(『日本の美術』355号)、至文堂、1995、pp.20 - 23
  22. ^ 『国宝・重要文化財大全 別巻』(所有者別総合目録・名称総索引・統計資料)、毎日新聞社、2000
  23. ^ 五木寛之『百寺巡礼 第十巻 四国・九州』
  24. ^ 像内納入品のうち経典2巻は1994年、盗難に遭っている(文化庁文化財保護部監修『文化財保護行政ハンドブック 美術工芸品編』(ぎょうせい、1998)、p.128、による。)
  25. ^ 文化財>史跡(太宰府市ホームページ)。
  26. ^ 文化財>建造物(太宰府市ホームページ)。






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