聖武天皇
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/16 02:52 UTC 版)
聖武天皇(しょうむてんのう、旧字体:聖󠄁武天皇、701年9月18日〈大宝元年8月12日〉 - 756年6月8日〈天平勝宝8歳5月2日〉)は、日本の第45代天皇(在位:724年3月3日〈神亀元年2月4日〉- 749年8月19日〈天平勝宝元年7月2日〉)。
注釈
- ^ ただし、『続日本紀』に皇太子の元服した年月日(和銅7年6月庚辰条)と聖武天皇が和銅7年6月に立太子をした記事(即位前紀)があっても立太子の正式な年月日を記した本文記事はなく(立太子と元服が同時というのは両記事の合成に過ぎない)、和銅7年に首親王(聖武天皇)が立太子された事実は確認できず、実際には元正天皇の即位後、首親王が朝政に参画したり、東宮職員の整備が進んだりした養老4年(720年)前後に立太子されたとする説もある[2]。
- ^ 河内祥輔はその弱点を克服するために自分の母親と同じ藤原氏出身の后妃の皇子に皇位を継がせることで自己の皇位継承を正当化しようと計画したとする説を採り、基王立太子・長屋王の変・光明子の立后・阿倍内親王の立太子など通説では"藤原氏の陰謀"とされる事件についても聖武天皇自身が積極的関与・主導していた可能性を指摘している[3]。
- ^ 新田部親王は一品親王に進められ、長屋王・巨勢邑治・大伴旅人・藤原武智麻呂・藤原房前・阿倍広庭は1階昇進した。舎人親王は既に一品親王・知太政官事で既に最高の地位に達し、正三位大納言の多治比池守を昇叙させると官位相当から外れるために昇叙ではなく益封が行われた。なお、『続日本紀』には参議正四位上の阿倍広庭に関して昇叙も益封も記載されていないが、即位の5か月後には広庭が既に従三位へと昇叙していることが確認できるため、『続日本紀』の記載漏れとみられる(虎尾達哉)。
- ^ これより前の皇后は原則的に神または天皇の血筋であるが、厳密には若干の例外もある。
- ^ 天平16年2月には恭仁京から難波京への遷都の詔が出されているが、当時天皇は紫香楽宮に滞在していた。この詔の発令は元正上皇によるものとも言われており、たび重なる遷都は宮廷の一時的分裂を招いたとする見方もある。なお、翌年1月に聖武天皇は紫香楽宮を都としている[6]。
- ^ 天平21年4月14日(749年5月4日)に陸奥国からの黄金献上を理由に天平感宝と改元されたが、わずか3か月後の7月2日(同8月19日)に新天皇の即位を理由に再度の改元が実施されている。
- ^ 公式の退位日は7月2日であるが、その以前の1月14日に行基を師として出家した(『扶桑略記』)とされ、また閏5月20日に作成された東大寺への勅施入願文には「太上天皇沙弥勝満」の署名(『続日本紀』)があり、このときには聖武天皇自身は既に退位・出家していた可能性がある。河内祥輔は可能性の1つとして、践祚と即位が分離する初例を桓武天皇とする通説よりも前に遡り、聖武天皇の譲位と孝謙天皇の践祚が行われた後に出家したとするならば、矛盾は解消されると指摘する[7]。
出典
- ^ 告井幸男「名代について」『史窓』第071巻、京都女子大学史学会、2014年、1-21頁、hdl:11173/1496、ISSN 0386-8931、NAID 120005407781。
- ^ 本間満「首皇子の元服立太子について」初出(『昭和薬科大学紀要』35号、2001年)・所収:本間『日本古代皇太子制度の研究』(雄山閣、2014年) ISBN 978-4-639-02294-7
- ^ 河内祥輔『古代政治史における天皇制の論理 増訂版』(吉川弘文館、2014年、P71-95)初版は1986年
- ^ 虎尾達哉「律令制下天皇即位時の特別昇叙について」『律令政治と官人社会』(塙書房、2021年)P145-194.
- ^ 松浦茂樹「聖武天皇と国土経営」(『水利科学』358号、2017年)p55
- ^ 筧敏生『古代王権と律令国家』(校倉書房、2002年)P251-267.
- ^ 河内祥輔『古代政治史における天皇制の論理 増訂版』(吉川弘文館、2014年、P96・101)初版は1986年
- ^ 【東大寺・(財)元興寺文化財研究所 合同発表】国宝東大寺金堂鎮壇具 金銀荘大刀二振の宝剣字象嵌銘および、銀荘大刀一振の七星文象嵌の発見について
- ^ 飯沼賢司「信仰の広がり」(館野和己・出田和久 編『日本古代の交通・流通・情報 2 旅と交易』吉川弘文館、2016年) ISBN 978-4-642-01729-9 P158-172
- ^ 施設案内 - 東新館・西新館『奈良奈良国立博物館公式サイト』
- ^ 聖武天皇の命日、1日間違えた 宮内庁、日本経済新聞、2012年9月26日
聖武天皇と同じ種類の言葉
固有名詞の分類
- 聖武天皇のページへのリンク