立川反戦ビラ配布事件 裁判

立川反戦ビラ配布事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/07 16:36 UTC 版)

裁判

第一審

判決

第一審(東京地方裁判所八王子支部平成16年12月16日判決判例時報1892号150頁)は、被告人らを無罪とした(2004年12月16日、裁判長・長谷川憲一)。これに対し検察官は控訴した。

概要

弁護人は、検察官がこの事件を起訴した目的は表現行為の抑圧あるいは被告人らの所属団体の活動を抑制もしくは停止させることにあるのであって、公訴提起それ自体が違法(公訴権濫用)であると主張したが、これは斥けている。裁判所は、「本件各公訴提起には、ビラの記載内容を重視してなされた側面があることは否定できない」としながらも、他の商業的宣伝ビラに対するものとは異なる不快感を抱いていたという居住者の感情等に着目した。

また弁護人は、被告人らが立ち入った階段や通路部分は刑法130条(住居侵入罪)にいうところの「住居」には該当しない(「住居」でないところに立ち入ったに過ぎないから、住居侵入罪とはならない)と主張したが、裁判所は「住居」にあたるとしてこれを斥けている。更に、被告人らの立入りは「侵入」に該当しないとの主張もなされた。その理由として、住居の平穏を害するものではないという主張がされたが、被告人らの立入りは入居者らの意思に反したものであることを理由に、斥けられている。ほかに、入居者らはビラ投函のための立入りについては包括的に承諾していたという主張、被告人らの立入りを拒絶する意思も表現の自由の前には譲歩すべきであるという主張もされたが、いずれも斥けられている。

以上より、第一審は、被告人らの行為は形式的には住居侵入罪に該当する(構成要件該当性がある)と判断したが、「法秩序全体の見地からして、刑事罰に処するに値する程度の違法性があるものとは認められない」として、住居侵入罪の成立を否定した(無罪とした)。被告人らの立入り行為の態様が「相当性の範囲を逸脱したものとはいえない」ことを理由に、処罰するほどの違法行為はなかった(可罰的違法性がない)と判断したものである。

上記判断にあたっては、以下のような事実が根拠とされている。

  • ビラ投函の動機が政治的意見の表明という正当なものである(自衛官に対する嫌がらせ等、不当な意図ではない)。
  • ビラが配られる頻度は低く、配り方も、昼間に少人数で比較的短時間(30分程度)に周囲の静謐を害するものではない。
  • 共用部分への立入りに止まるためプライバシー侵害の程度は低い。
  • 入居者らの反対を殊更に押切って敢行されたわけではない。
  • イラク派兵反対を唱えるビラの内容、は当時のメディアにおける反対論と比較しても、内容面・表現面において過激ではなく、他の反戦表現と比して特別の不快感を与えるものではない。
  • ビラの投函を放置することによって行動がエスカレートしていく危険はない。

ビラ投函の動機を認定するに当っては、被告人らの所属する団体『立川自衛隊監視テント村』の性格(危険性)も争点とされている。これに関して検察官は、公安情報に基づき、被告人らが左翼新左翼団体との関連があり、その団体は自衛隊海外派遣反対などの理由で立川基地内に爆発物を発射した事件など危険な事件に関与しているとの立証を行った。裁判所は、過去、同団体の「構成員によるやや不穏当な行動もみられる」とはしながらも、上記検察官の立証事項について、「仮にこのような事情があったと認められるとしても」、同団体全体の危険性を示すものではなく、また、本件ビラの投函行為に不当な目的があったとも言えないと判示した。これに関連し、第6回公判期日の被告人反対尋問において、検察官は、被告らの新左翼との接触や、立川基地内に爆発物を発射した事件、天皇制反対運動などとの関連について質問している。これに対し弁護側は「被告がどんな思想を持っているかは事件とは関係がない」との異議を述べ、裁判長もこれを認めている。

また、本件ビラの投函は憲法21条1項により保障された政治的表現活動であって、営業活動としての表現行為に比べ「優越的地位」が認められるにも拘らず、商業的なビラの投函が放置されている状況下において、正式な抗議等をしないままいきなり検挙することは「憲法21条1項の趣旨に照らして疑問の余地なしとしない」とも指摘した。

なお、第一審の第5回公判期日(9月9日)において、弁護側証人として憲法学者奥平康弘と元防衛庁政務次官・元郵政大臣でイラク派兵違憲訴訟原告の箕輪登が出廷し証言した。奥平は、住居侵入罪の規定それ自体に問題があることや、現在社会において受け取りたくない情報が受忍されている現状から政治的に選別して刑事事件の対象とすることは許されないなどを証言した。その一方で、治安維持法のない現代、住居侵入罪などの一般法を用いる犯罪立件は、戦前への回帰であるとの懸念を表明するなど政府批判・国家批判をおこなった。

控訴審

判決

控訴審(東京高等裁判所平成17年12月9日判決高等裁判所刑事裁判速報集(平17)号238頁)は、第一審判決を破棄自判して、被告人らに対し、罰金20万円から10万円の刑を言い渡した(2005年12月9日、裁判長・中川武隆[1]。これに対し、被告人は即日上告した[1]

概要

被告人らが立ち入った共用部分は「住居」ではなく「人の看守する邸宅」に該当するとしている点が第一審とは異なるが、住居侵入罪に該当する(構成要件に該当する)と判断している点は形式的には変わらない。その上で、第一審判決は処罰すべきほどの違法性はない(可罰的違法性がない)として住居侵入罪の成立を否定したが、控訴審は、そうした違法性も認められるとして住居侵入罪の成立を認めた(有罪とした)。

まず、「政治的意見の表明という正当な動機に基づいている」という第一審の判断について、被告人らの行為が表現の自由により保護されるべきものであること、及び、表現の自由が尊重されるべきことは認めている。しかし、表現の自由を理由に他人の権利の侵害が直ちに許されるものではなく、「何人も、他人が管理する場所に無断で侵入して勝手に自己の政治的意見等を発表する権利はない」から、被告人らを住居侵入罪で処罰しても表現の自由を保障した憲法21条1項に反するものではないとした。

更に、被告人らによる立入りの態様(ビラの配り方)について、第一審は「相当性の範囲を逸脱したものとはいえない」としていたが、控訴審はこれを否定した。プライバシー侵害の程度が低いことは否定しなかったものの、過去に行われていた立ち入り禁止の警告を無視し、またビラ投函の際にも対面で入居者から抗議を受けていながら後日再びビラの投函に及んでいることから、その行為が居住者の日常生活に実害をもたらさない穏当なものとは言えず、入居者等の反対を押切って敢行されたものではないともいえない、ということを根拠としている。また、被告人らのビラ投函によって生じた法益侵害の程度が極めて軽微であるとした第一審の判断も否定されている。控訴審は、ビラ投函によって、入居者らが「軽微」とはいえない不安・不快感を抱いたからこそ、立ち入り禁止の掲示等各種の対策がとられたのだと指摘する。

上告審

判決

2008年4月11日に上告審を担当した最高裁判所第2小法廷において今井功裁判長は3人の上告を棄却して、東京高等裁判所の判決(3人に対する罰金20万円から10万円の刑)が確定した[4]

概要

立川宿舎の各号棟の構造及び出入口の状況、その敷地と周辺土地や道路との囲障等の状況その管理の状況等によれば、各号棟の1階出入口から各室玄関前までの部分は、居住用の建物である宿舎の各号棟の建物の一部であり、宿舎管理者の管理に係るものであるから、居住用の建物の一部として刑法130条にいう「人の看守する邸宅」に当たるものと解され、また、各号棟の敷地のうち建築物が建築されている部分を除く部分は、各号棟の建物に接してその周辺に存在し、かつ、管理者が外部との境界に門塀等の囲障を設置することにより、これが各号棟の建物の付属地として建物利用のために供されるものであることを明示していると認められるから、上記部分は、「人の看守する邸宅」の囲にょう地として、邸宅侵入罪の客体になるものというべきである(最判昭和51年3月4日(東大地震研事件)参照引用)とし、刑法130条前段にいう「侵入し」とは、他人の看守する邸宅等に管理権者の意思に反して立ち入ることをいうものである(最判昭和58年4月8日(大槌郵便局事件)参照引用)ところ被告人らの立入りがこれらの管理権者の意思に反するものであったのは事実関係から明らかであるとし、被告人らの本件立川宿舎の敷地及び各号棟の1階出入口から各室玄関前までへの立入りは、刑法130条前段に該当する。なお、被告人の立入行為により管理者からその都度被害届が提出されていることなどに照らすと、法益侵害の程度が極めて軽微なものであったなどということもできず、可罰的違法性は認められるとしている。

そして、表現の自由は、民主主義社会において特に重要な権利として尊重されなければならず、被告人らによるその政治的意見を記載したビラの配布は、表現の自由の行使ということができる。しかしながら、憲法21条1項も、表現の自由を絶対無制限に保障したものではなく、公共の福祉のため必要かつ合理的な制限を是認するものであって、たとえ思想を外部に発表するための手段であっても、その手段が他人の権利を不当に害するようなものは許されない(最判昭和59年12月18日(吉祥寺駅ビラ配布事件)参照引用)。

本件では、表現そのものを処罰することの憲法適合性が問われているのではなく、表現の手段すなわちビラの配布のために「人の看守する邸宅」に管理権者の承諾なく立ち入ったことを処罰することの憲法適合性が問われているところ、本件で被告人らが立ち入った場所は、防衛庁の職員及びその家族が私的生活を営む場所である集合住宅の共用部分及びその敷地であり、自衛隊・防衛庁当局がそのような場所として管理していたもので、一般に人が自由に出入りすることのできる場所ではない。たとえ表現の自由の行使のためとはいっても、このような場所に管理権者の意思に反して立ち入ることは、管理権者の管理権を侵害するのみならず、そこで私的生活を営む者の私生活の平穏を侵害するものといわざるを得ない。したがって、本件被告人らの行為をもって刑法130条前段の罪に問うことは、憲法21条1項に違反するものではない(最大判昭和43年12月18日(大阪市広告物条例事件)、最大判昭和45年6月17日(軽犯罪法ビラ貼り事件)引用)。


  1. ^ a b c “立川ビラまき、逆転有罪 3被告に東京高裁「被害、軽くない」”. 朝日新聞 夕刊 (朝日新聞社): p. 1. (2005年12月9日) 
  2. ^ 勾留中の被疑者・被告人につき、弁護人以外との面会を禁止するもの。刑事訴訟法81条、207条1項参照。
  3. ^ 吉武祐 (2004年12月17日). “逮捕・勾留の3人無罪 自衛隊イラク派遣反対、官舎にビラ”. 朝日新聞 朝刊 (朝日新聞社): p. 1 
  4. ^ 最高裁判所第二小法廷判決 2008年4月11日 、平成17(あ)2652、『住居侵入被告事件』。
  5. ^ a b マガジン9条『伊藤真のけんぽう手習い塾』第4回2013年6月10日閲覧。
  6. ^ 「被告人らは、何らかの過激な手段に及んでもテント村の見解を自衛官らに伝える等の不当な意図は有していなかったと推認され、この点についてはテント村の性格等からも裏付けることができる」
    「すなわち、テント村の沿革や活動内容のほか、同団体には横成員に対する入会の強要や脱会の阻止、会費の強制徴収、私刑による制裁等の強権を背景とした上命下達関係などといったいわゆる組織統制の存在はうかがわれないことによれば、テント村は、『自衛隊反対』を主眼とする政治的見解を同じくする人々から構成される一市民団体にすぎないというべきである。なお、過去、テント村の構成員によるやや不穏当な行動もみられるが、その行動が、直ちに暴行、脅迫、破壊活動その他周辺に危害をもたらす言動につながるとはいえず、また、テント村が実際にそのような言動におよんだことがあるとも認められない」(第一審判決認定の要旨より抜粋)[1]
  7. ^ 「文書投函行動に対しては、『STOP海外派兵』につき当該ビラに連絡先として記載された立川市議会議員宛に自衛隊員から個人的に抗議の連絡があったのを除いては、自衛隊ないし防衛庁関係者からも警察からも全く連絡がなかった」(第一審判決認定の要旨より抜粋)[2]
  8. ^ a b “こちら特報部 なぜビラ配布で拘置75日 立川・市民団体の3人(上)早朝、突然警官が…検事『活動増えたか調べてみろ』”. 東京新聞 朝刊 (中日新聞社): p. 24. (2004年5月14日) 
  9. ^ a b “異例捜査、やっと笑顔 3人「控訴断念を」 官舎ビラ配布無罪”. 朝日新聞 朝刊 (朝日新聞社): p. 39. (2004年12月17日) 
  10. ^ 弁護団第一審『最終弁論』>「第7 違法性の意識の不存在」>「3 自衛隊もポスティングをしている」より抜粋: 「しかし、自衛隊も、以下に述べるように自衛隊員募集などのビラのポスティングを行っている」と述べて三つの例を挙げ、「上記3例は氷山の一角であり、自衛隊もさかんにポスティングを行っていることは明らかである。このことは、ポスティングが社会的に広く行われ、容認されていることを物語っている」[3](立川・反戦ビラ弾圧救援会)
  11. ^ 26. 委員会は、戸別訪問の禁止など表現の自由と広報活動に参加する権利に対する不当な制限について、さらに公職選挙法に基づく選挙の事前運動期間中に配布されるべき文書の数と種類に対する制限について、懸念する。また、政府を批判する内容のちらしを私用の郵便受けに配布したという理由で、政治活動家公務員が、侵入に関する法あるいは国家公務員法により逮捕され起訴されているという報告について懸念する。
  12. ^ 半田泰 (2008年4月12日). “【視点】ビラ配りに求める節度”. 産経新聞. オリジナルの2008年11月2日時点におけるアーカイブ。. https://megalodon.jp/2008-1102-1339-49/sankei.jp.msn.com/affairs/trial/080412/trl0804120012000-n1.htm 
  13. ^ 『ビラ配布の男性を不当逮捕 「官舎無罪判決」直後に 東京・葛飾 立ち会い認めず家宅捜索』
  14. ^ 例えば「立川反戦ビラ事件最高裁判決を批判する法学者声明」、「異論にさらされることによる感受性あるいは気分の侵害が甘受されなければ、民主主義社会は成り立たない」(市川正人「表現の自由と2つのポスティング摘発事件」、『法学セミナー』2004年8月号・所収)など。
  15. ^ 東京新聞朝刊(2005年1月4日)
  16. ^ 魚住・斎藤・大谷・三井(2005)
  17. ^ 大沢豊・立川市議救援連絡センターによる。
  18. ^ “防衛省宿舎でビラ配り逮捕 邸宅侵入容疑の男”. 産経新聞. (2008年7月1日). オリジナルの2008年7月6日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20080706140554/http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/080701/crm0807011820027-n1.htm 
  19. ^ 『毎日新聞』2008年7月21日、東京朝刊。
  20. ^ 2008年7月5日立川反戦ビラ弾圧事件の元被告のブログ






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