秋野豊 秋野豊の概要

秋野豊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/01 03:31 UTC 版)

来歴・人物

北海道小樽市生まれ。北海道小樽潮陵高等学校を経て同志社大学入学、早稲田大学政治経済学部卒業後、北海道大学法学部に学士入学。北海道大学大学院法学研究科で、第二次世界大戦中の英ソ関係を研究し、1983年法学博士学位を取得した。「独ソ開戦と英対ソ政策 : 「偽りの同盟」から「大同盟(Grand Alliance)」への道 」。

北海道大学助手、在モスクワ日本大使館専門調査員を務めた後、1986年から筑波大学社会科学系で講師として教鞭を取る。1988年助教授(現准教授)に昇格。

1998年、筑波大学を辞職し、外務省に入省、国連タジキスタン監視団政務官として参加した。しかし、同年7月20日にドゥシャンベの東方の山岳地帯を走行中に武装集団による襲撃に遭い、同乗者とともに射殺された[1]

死後

慰霊碑に献花する安倍晋三

秋野の遺志を継承し「秋野豊ユーラシア基金」が設立された。ドゥシャンベの国際連合開発計画タジキスタン事務所内に秋野を始めとした国連タジキスタン監視団犠牲者の慰霊碑が建立された[2]

2015年10月24日タジキスタンを訪問中の日本の首相、安倍晋三が慰霊碑に献花した[3]

2018年7月3日、没後20年シンポジウムが開催され、河野太郎外務大臣がタジキスタンの和平構築に尽力された秋野豊に、改めて敬意を表した[4]

著書

単著

訳書

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