着付け
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/21 02:13 UTC 版)
着付けを業務とする業種
日常着としての着物は本来自分で着付けるものであるが、振袖や花嫁衣装など特殊な着付けを要する場合は、一人で着付けることは容易ではないため、他者に着せ付けることを業務とする職業が存在する。
着付けの専門的な技能を持つ人を着付師という。着付師による着付けは美容院で行われることが多く、「着付け技能士」という国家資格がある。
祇園などの花街では、舞妓や芸妓の着付けを行う男衆(おとこし)という専門職がある。特に舞妓の帯を締める場合、かなりの腕力を必要とするため、男性が着付けをするのが慣例となっており、花街における数少ない男性の働き手である。
時代による変遷
普段着として
明治以降の社会の変容に伴って、着物にも、礼服ほどの格式を必要としない「気軽な外出着」という需要が生まれた。このための女性用の帯も、重量があって扱いにくい「織り」の丸帯や袋帯から、手軽な「染め」の帯や昼夜帯など、より簡便なものが多く用いられるようになり、また、大正中期に名古屋帯が発明されたため、お太鼓などの結び方にも新しい手法が生まれた。
また、大正時代以降は、男女とも「長着が普段ものでも羽織を着れば礼服扱い」となり、日常的に羽織が用いられるようになる[1]。
洋装の影響
大正から昭和初期には、広まり始めた洋装の美意識が着物の着付けにも取り入れられ、洋装のバランスを模して、帯を極端に腰高に締め、下半身をすらりと長く見せる着付けが流行した[1]。
昭和25年頃から昭和30年代前半(1950年代)には、既に洋服を着慣れていた女性たちに向けて、ブラジャーやコルセット[注釈 2]・スリップなどの洋服の下着を付け、あえて体の線を強調する着付けが盛んに提唱された[注釈 3]。これに伴って、従来は腰骨の位置で締めるものであった腰紐を、洋式にウエストの位置で締めることが推奨された。肌襦袢や長襦袢など、従来の和装用下着をすっかり省いて着付けを簡便にすることも提唱された[1]。
現代
昭和30年代後半以降(1960年代以降)は、洋服が一般的な日常着となり、着物は、礼装や晴れ着などとして特別な機会にのみ着るものとなった[注釈 4]。日常生活の中から和装が姿を消し、着付け方法はおろか、和服全般についての家庭内での自然な伝承が途絶したため、「着物の着方」を、着物に詳しい者に一から教わる必要が生じたのである。
こうした、日常生活に必須ではない「教養としての着付け」では、現在まで続く「体のラインを隠すように直線的に着る」という、「洋服にはない、着物ならではの着姿」が推奨されるようになった。腰紐の位置も洋式のウエスト締めから腰骨締めに戻り、「凹凸のない、ずんどうの着物体型」が良しとされて、和装ブラジャーやタオル等による体型補正が生まれた[注釈 5]。
こうして着付けは「型を守って行う」ものとなり、着物自体も、気軽には手を出せない難しいものとみなされるようになって、ますます日常生活から離れることとなった[1]。
その後、1990年代以降のアンティーク着物ブームによって「ふだん着物」が見直されて以降は、こうした堅苦しい着付け作法に異を唱え、自由に楽に着ようという動きも生まれている[2]。一方、昭和40年代に確立した「正しい着付け」のみを是とし、街中で通りすがりの和装女性に着付けの難を指摘したり直したりする、いわゆる「着物警察」と呼ばれる年配女性も存在し、着物を愛好する者同士のあいだにも派閥や軋轢が生まれている。
着付けの手順
着付師によるものでなく「一人で着る」場合の、現代の標準的な例を示す。
女性
- 着る前の準備
- 長襦袢を着て衣紋を抜き、腰紐で締める[注釈 7]。
- 長襦袢・長着・羽織のいずれも、洋服を着るときのように勢いよく羽織って袖を通すのではなく、下から静かに袖を通す。これは、和服の袖付けは洋服よりも一部分に力がかかりやすく破損しやすいためである。
- 長着を右前に打ち合わせて腰骨のあたりで腰紐を締め、おはしょりを整え、襦袢の衿に合わせて衣紋を抜く。衿合わせを整え、身八ツ口から手を入れて再びおはしょりを整え、伊達締めで締める。
- 打ち合わせの深さや衿合わせの角度、衣紋の抜き具合、褄先の上がり具合などは、TPOや年代、好みなどに応じて調整する。茶道などの座礼の場合は、剣先が後ろに回るくらい深く打ち合わせるのが良いとされている。体型ときものの幅が合わない場合は、打ち合わせの深さで調整する。身長と着物の身丈が合わない場合はおはしょりの長さで調整し、おはしょりが作れない場合は対丈(おはしょりを作らない)で着る。
男性
おはしょりを作らず対丈で着ること以外は女性とほぼ同じであるが、長襦袢と長着とを、着る前に重ね合わせていっぺんに羽織る「一つ前」という着方もある。
子供
6歳くらいまでの子供用の着物には、一般的に肩揚げと腰揚げがしてある。肩揚げは、肩の部分で布を折り畳んで縫い止め、袖口までの長さを体に合わせて調整するもの。腰揚げも同様に腰の部分で総丈を調整するもので、一見おはしょりに似ているが、着用時に作るおはしょりとは違い、縫い止めて形作ってある。
着付けを容易にするため、長着や襦袢には打ち合わせのための紐をつけておくことが多い。
注釈
- ^ 「装道」という言葉があるが、これは1970年代に一企業が商標登録したものであり、着付けを指す一般的な語ではない。
- ^ 現代でいうウエストニッパーに近いが、ほぼ全体がゴム製の、腰回りを抑えるファウンデーション。ガーターベルトが付属することもあった。当時は洋装の下着にはブラジャーと並んでこのコルセットが必須とされていた。
- ^ 昭和32年の『主婦の友』4月号には、「体の美しい線を出す新しい装い方」という記事が掲載されている。
- ^ 「晴れ着」という語が登場したのはこの頃からであるが、以降、「晴れ着」と「和服」の同一視など、和装の衰退に伴う用語の混同もみられるようになる。
- ^ この頃、着付けのためのさまざまなアイデア商品が生まれた。現在では使われなくなったものも多いが、上述の和装用ブラジャー、メッシュの帯板や衿芯、コーリンベルト(腰紐として使う、ゴムベルトの両端にクリップがついたもの)などは現在もよく使われている。
- ^ 長襦袢の代わりに、半襦袢と裾よけからなる「二部式襦袢」もよく用いられる。
- ^ 腰紐や伊達締めは、結び目がごろつかないよう、結ばずに2回絡げて交差させ、余った部分は挟み込むのが伝統的な締め方である。
- ^ 帯締めは、若年者では上寄り、年配者では下寄りに締めるのが良いとされているが、これも昭和30年代後半以降に確立した慣例であり、それ以前は好みによって自由に締められていた。
- ^ 羽織は、首元で衿を半分外側に折り返し、衿全体が自然に折り返るように着る。折り返しやすいように衿首の部分に千鳥がけが施されていることも多い。羽織紐はたらしたままにせず必ず結ぶ。
出典
- ^ a b c d 小泉和子編『昭和のキモノ』河出書房新社〈らんぷの本〉、2006年5月30日。ISBN 9784309727523。
- ^ “やっぱり着物はしょせん服です。~「高円寺リサイクル着物処豆ぶどう」の店主の何でも着物の日々~”. 2020年11月26日閲覧。
- ^ a b c d 国立国会図書館. “日本の衣服の着方「右衽」(うじん)について,飛鳥・奈良時代の図版を探している。”. レファレンス協同データベース. 2023年4月21日閲覧。
- ^ 『服装 1958年5月号』同志社、1958年。
- ^ “養老の衣服令による命婦礼服 | 日本服飾史”. costume.iz2.or.jp. 2023年4月21日閲覧。
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