海 (ドビュッシー) 作品の新しさ

海 (ドビュッシー)

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作品の新しさ

こうして完成した『海』は具体的な標題を有するにもかかわらず、構成に重点が置かれた絶対音楽的な作品であり[45]、一種の交響曲と見なされることさえある[45][46][注 23]。 実際、全体が3つの楽章で構成されている点や、複数の楽章にわたって同じ主題や動機を使う「循環形式」が用いられている点は、当時のフランスの作曲家が書いた交響曲とも共通している[48][注 24]

ただし、音楽を構成する原理は、従来のソナタ形式の「主題提示」-「展開」-「再現」といった直線的なものではなく、動機や主題が相互に関係を持ちながら螺旋を描くように生成転化していくという[49]、まったく新しい独自のものであった[注 25]。作品の詳細な分析を行った作曲家ジャン・バラケは、「『海』によってドビュッシーは新しい音楽技法を発明し直した」と評価し[51]、その新しい構成原理を「開かれた形式」と呼んだ[52]。バラケは次のように言う。

ドビュッシーは、『海』でもって、展開の一方式を現実に考えだした。それは、呈示とか展開とかの概念をさえ、ある不断の湧出のなかに、共存させる。その湧出が作品に可能にするのは、あらかじめ設定されたなんらかのモデルのたすけを乞わずに、自身の力でいわばみずからを推進することなのである。

— ジャン・バラケ、ジャン・バラケ 平島正郎訳『《永遠の音楽家》7-ドビュッシー』白水社、1969年6月20日、233-234頁より引用

また、ドビュッシーの研究者、松橋麻里は次のように表現している。

気づかれないようなふとした音の動きがより大きな動きを誘い出し、それが次々に広がっていく。つまり音が自らの内部から進む力を繰り出していく。これが既存の形式ではない形を生んでいくのである。

— 松橋麻里、松橋麻利『作曲家◎人と作品-ドビュッシー』、音楽之友社、2007年5月10日、ISBN 978-4-276-22189-5、200頁より引用

後にドビュッシーは「音楽」というものを「律動づけられた時間と色彩でできている」と説明するが[注 26]、この言葉は『海』にそのまま当てはまるばかりでなく[54]、むしろ『海』での実践が、こうした考え方の裏付けになっているとも言える[55]

しかし、こうした『海』の作曲技法上の新しさは、初演当時の聴衆や批評家にはほとんど理解されず[注 27]、「音楽によるの描写」という観点から作品を論じる者が大多数であった[56][注 28]。 現在においても『海』は「海の情景を描写した標題音楽」として説明されることがある[2][注 29]


注釈

  1. ^ 副題にあるesquisses symphoniques については「交響的素描」のほか、「交響的スケッチ」「交響的エスキス」などと訳される。フランス語の「エスキス」は絵画の用語で「完成前の段階」の作品を指し、その英語訳の「スケッチ」、日本語訳の「素描」とはニュアンスが若干異なる[1]。また、慣例的に《交響詩『海』》と呼ばれることもある[2]
  2. ^ ドビュッシーは1905年7月18日に、今後作曲した作品を全てデュラン社から出版する専属契約を結んだ[4][5]
  3. ^ 1905年7月18日に出版され[6]、いくつかの手直しを経て同年11月15日に発売された[7]
  4. ^ 1893年、『ペレアスとメリザンド』をオペラ化したいというドビュッシーの申し出に対し、作者のメーテルリンクがモクレールに依頼してドビュッシー宅を訪問させた[14]
  5. ^ より詳細な概要が沼野(1999)38-39頁に書かれている。
  6. ^ 1903年1月にはドビュッシーにレジオン・ド・ヌール五等勲章が授けられた[21]
  7. ^ 「付随音楽『リア王』のスコアを書いた」、「オペラ『鐘楼の悪魔』が完成した」などの虚偽の情報が新聞で報道された[24]
  8. ^ メサジェは『ペレアスとメリザンド』の初演を行った指揮者であり作曲家。
  9. ^ ドビュッシーがエンマに歌曲集『フランスの3つの歌』を献呈し、エンマが返礼として花を贈るなどのやり取りがあった[25]
  10. ^ エンマは、ドビュッシーの生徒であったラウル・バルダックの母親であり、1903年にラウルがドビュッシーを自宅の夕食会に誘ったことが出会いのきっかけとなった[26]
  11. ^ ドビュッシーがジャージー島で『喜びの島』を作曲したとされることがあるが、『喜びの島』は1年前に書かれた作品であり、誤解である[27]
  12. ^ ディエップに滞在中の8月にドビュッシーはリリーに別れを求める手紙を送った。
  13. ^ この間、1905年1月3日には『フィガロ紙』が「リリーが2度目の自殺未遂を図った」という誤報を流している[31]
  14. ^ エンマは同年5月4日に夫であったバルダックとの間に離婚が成立した[4]
  15. ^ ドビュッシーとエンマが正式な夫婦となるのは1908年1月20日のことである[32]
  16. ^ 8月にジャック・デュランに宛てた手紙に書かれている[34]
  17. ^ 第3楽章も第1楽章と同様に、創作の途中で副題が変更となった。
  18. ^ ビシャンには妻リリーの実家がある。ドビュッシーは1903年7月10日から10月1日までこの地に滞在した[36]
  19. ^ ドビュッシーは8歳の時、地中海に面したカンヌの伯母の家に預けられた経験があり、そこで見た海の見える景色について後年語っている[38]。また、ドビュッシーの父はドビュッシーを船乗りにしようと考えていた時期があり、自らも「作曲家でなければ船乗りになっていた」とインタビューに答えている[39]
  20. ^ 『海』を作曲中にドビュッシーが実際の海に接したのはこれらの場所においてである。ジャージー島のグランド・ホテルからジャック・デュランに宛てた手紙には、ドビュッシーが実際の海に「茫然自失」していると記している[40]
  21. ^ 1905年1月にデュラン宛に書いた手紙の中でそれぞれ報告されている[41]
  22. ^ 全音スコアの解説には、『海』はイギリスイーストボーンで完成したとあるが[42]、他の文献ではドビュッシーとエンマがイーストボーンで過ごすのはこれより後、1905年7月頃とされている[43][6]
  23. ^ 作曲家の矢代秋雄は、『海』を堅固に構成された真に壮大な交響曲であると評し、ドビュッシーがこの作品に標題をつけた気持ちが分からないと述べている[47]
  24. ^ 『海』と前後して、ヴァンサン・ダンディ交響曲第2番フランス語版1903年)、ギィ・ロパルツ交響曲第3番1906年)など、セザール・フランク交響曲1888年)につながる作品が作曲されている。
  25. ^ 『海』を構想中の1903年に作曲されたピアノ小品『スケッチ帳より』(D'un cahier d'esquisses)は、自由な形式を持つ点やタイトル(esquisses)の相似という点で、『海』との関連が指摘されている[50]
  26. ^ 管弦楽のための『映像』を作曲中の1907年9月3日付け、ジャック・デュラン宛の書簡より[53]。「律動づけられた時間と色彩」は、『遊戯』(1913年)をはじめとするドビュッシー後期の音楽を特徴づける観念である[49]
  27. ^ ドビュッシーの研究者であるフランソワ・ルシュールフランス語版は、「『海』の特殊性がスコアから読み取れるようになるには数世代を要した」と述べている[19]
  28. ^ 初演当時、作曲家エリック・サティは第1楽章「海の夜明けから真昼まで」について「11時45分あたりの部分が特に良かった」という皮肉の混じったコメントをあえて行ったと言われる[57]
  29. ^ 作曲家の柴田南雄は著作の中で、『海』が外界を描写した作品であることを否定する一方で「まったく描写的な印象を与える瞬間がないとは言えない[58]」とも述べている。
  30. ^ ドビュッシーは、ジャック・デュラン宛の1905年10月10日の書簡にて、シュヴァイヤールを「芸術家とは言いがたい人間[59]」と評している。
  31. ^ ドビュッシーは初演の5日前の段階でも第2楽章のチェックが終わっていなかった[59]
  32. ^ 当日のプログラムは、ベートーヴェン交響曲第7番ダンディの『フランスの山人の歌による交響曲』、ドビュッシーの『海』、ベルリオーズの『ローマの謝肉祭』であった[7]
  33. ^ ラロの批評も、『海』を描写音楽として誤解したものだと言える[5]
  34. ^ 後に『子供の領分』の第3曲となる「人形へのセレナーデ」である[60]
  35. ^ ドビュッシーは、この翌月にロンドンで『海』と『牧神の午後への前奏曲』を指揮することがすでに決まっており、前年7月17日付けのデュラン宛ての手紙でそのことを報告している[64]
  36. ^ 1905年の初演における演奏が芳しくなかったため、自作自演による再演の日を初演日時として扱う場合もあると言う[5]
  37. ^ 第1楽章で最初に「循環主題」が提示される箇所は、記譜上はコーラングレとトランペットの音は同じであるが、実際に出る音はトランペットの方が1オクターブ高い。
  38. ^ パリ・オペラ座の管弦楽編成の慣習によるものである[70]
  39. ^ 低音の「ロ」音の上に完全5度ずつ音を積み重ねることでこの4音が得られる[75]
  40. ^ 音楽学者のアンドレ・シェフネルフランス語版は、第2楽章の冒頭にはワーグナーの『トリスタンとイゾルデ』の「第2幕への前奏曲」の影響が見られると指摘している[81]
  41. ^ 絶えず更新される形式」と訳される場合もある[85]
  42. ^ ただし、具体的な譜例や小節番号などは明示されていない。なお、バラケは、「風と海との対話」という副題が楽章の構造の二元性を示しているとも指摘している[86]
  43. ^ 1906年2月6日に行われた演奏会において、オギュスト・ドラクロワとアルマン・プティの連弾により第3楽章が演奏されたが、おそらくその演奏をきっかけに、ドビュッシー自身は連弾ではほとんど演奏不可能であることを認めた[87]
  44. ^ 日本の全音楽譜出版社のポケットスコアは1964年に発行されて以来、この1909年の版を底本としている[89]
  45. ^ 旋律線を厚くし、ファゴット等の省略により低音を薄くした[88]
  46. ^ このファンファーレ風の動機は、ドビュッシーの自筆譜による初版の簡略譜には書かれていないため、完成間近の段階で総譜に書きこまれていた可能性がある[90]
  47. ^ 録音では、アンセルメ指揮スイス・ロマンド管弦楽団の他、モントゥー指揮ボストン交響楽団ミトロプーロス指揮ニューヨーク・フィルハーモニーミュンシュ指揮ボストン交響楽団、デュトワ指揮モントリオール交響楽団カラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団マイケル・ティルソン・トーマス指揮フィルハーモニア管弦楽団アバド指揮ルツェルン祝祭管弦楽団 など。
  48. ^ このポケットスコア(ISMN 979-0-044-01142-1)には校訂報告がない。
  49. ^ アメリカドーヴァー出版1983年に出版したスコアや、日本楽譜出版社が2014年に出版したスコアも同様の処理が行われているが、いずれも底本や校訂報告はなされていない。
  50. ^ 『夢の引用』英語による副題「Say sea, take me!」はエミリー・ディキンソンの詩の一節である。

出典

  1. ^ 井上さつき『ドビュッシーと絵画:複合芸術研究の試み』ミクスト・ミューズ:愛知県立芸術大学音楽学部音楽学コース紀要、2009年3月31日、NAID 120001059712
  2. ^ a b 金子健志編『200CD オーケストラの秘密-大作曲家・名曲のつくり方』立風書房、1999年8月20日、ISBN 4-651-82042-5、196頁
  3. ^ a b 平島正郎『最新名曲解説全集第5巻-管弦楽曲II』(ドビュッシー『海』の項)、音楽之友社、1980年5月1日、413頁
  4. ^ a b フランソワ・ルシュール 笠羽映子訳『伝記 クロード・ドビュッシー』音楽之友社、2003年9月10日、ISBN 4-276-13162-6、266頁
  5. ^ a b c マックス・ポンマー 寺本まり子訳 ポケットスコア『ドビュッシー:海』(はしがき)音楽之友社、1992年9月10日、6頁
  6. ^ a b 松橋麻利『作曲家◎人と作品-ドビュッシー』、音楽之友社、2007年5月10日、ISBN 978-4-276-22189-5、110頁
  7. ^ a b ルシュール、『伝記』270頁
  8. ^ ルシュール、『伝記』272頁
  9. ^ ルシュール、『伝記』120頁
  10. ^ ルシュール、『伝記』423頁
  11. ^ 浮世絵等の活用に向けた基本方針 平成30(2018)年6月”. 川崎市. 2018年7月7日閲覧。
  12. ^ レファレンス事例詳細(国立音楽大学付属図書館)”. 国立国会図書館. 2018年7月7日閲覧。
  13. ^ a b c ルシュール、『伝記』242頁
  14. ^ a b 沼野(1999)、37頁
  15. ^ 沼野雄司『C.ドビュッシーの《海》研究序説:第1曲を中心に』東京音楽大学研究紀要23、1999年12月20日、NAID 110004632596、38頁
  16. ^ 沼野(1999)、39頁
  17. ^ 沼野(1999)、40頁
  18. ^ a b ジャン・バラケ 平島正郎訳『《永遠の音楽家》7-ドビュッシー』白水社、1969年6月20日、229頁
  19. ^ a b c ルシュール、『伝記』271頁
  20. ^ 菅原、前掲書11頁
  21. ^ 松橋、前掲書97頁
  22. ^ 松橋、前掲書113頁~114頁
  23. ^ ルシュール、『伝記』252頁
  24. ^ a b ルシュール、『伝記』253頁
  25. ^ 松橋、前掲書107頁
  26. ^ 松橋、前掲書105頁
  27. ^ ルシュール、『伝記』258頁
  28. ^ ルシュール、『伝記』254-262頁
  29. ^ 松橋、前掲書109頁
  30. ^ ルシュール、『伝記』254-261頁
  31. ^ ルシュール、『伝記』263頁
  32. ^ 松橋、前掲書118頁
  33. ^ 松橋、前掲書112-113頁
  34. ^ 沼野(1999)、26頁
  35. ^ バラケ、前掲書225頁
  36. ^ ルシュール、『伝記』241頁
  37. ^ フランソワ・ルシュール 笠羽映子訳『ドビュッシー書簡集』音楽之友社、1999年11月20日、ISBN 4-276-13164-2、183頁
  38. ^ 松橋、前掲書13-14頁
  39. ^ 松橋、前掲書119-200頁
  40. ^ ルシュール、『書簡集』190-191頁
  41. ^ バラケ、前掲書226-227頁
  42. ^ 菅原、前掲書7頁
  43. ^ ルシュール、『伝記』273頁
  44. ^ ルシュール、『伝記』242頁
  45. ^ a b 菅原明朗 ポケットスコア『ドビュッシー・[海]』(解説)全音楽譜出版社、ISBN 4-11-892053-0、解説8頁
  46. ^ a b c d e f ポンマー、前掲書、はしがき8頁
  47. ^ 矢代秋雄『オルフェオの死-矢代秋雄音楽論集』、音楽之友社、1996年6月12日、ISBN-4-276-37073-6、54頁、61頁
  48. ^ 今谷和能・井上さつき『フランス音楽史』春秋社、2010年2月25日、ISBN 978-4-393-93187-5、374頁
  49. ^ a b 小鍛冶邦隆『作曲の技法-バッハからヴェーベルンまで』音楽之友社、2008年1月10日、ISBN 978-4-276-10605-5、98頁
  50. ^ 小鍛冶、前掲書95頁
  51. ^ バラケ、前掲書232頁
  52. ^ バラケ、前掲書283頁
  53. ^ ルシュール、『書簡集』229頁
  54. ^ 松橋、前掲書201頁
  55. ^ 平島、前掲書411頁
  56. ^ 沼野、1999年、40-42頁
  57. ^ 柴田南雄『柴田南雄著作集I』図書刊行会、2014年10月10日、ISBN 978-4-336-05814-0、510頁
  58. ^ 柴田、前掲書511頁
  59. ^ a b c ルシュール、『書簡集』205頁
  60. ^ a b c 松橋、前掲書114頁
  61. ^ ルシュール、『書簡集』157頁
  62. ^ ルシュール、『書簡集』206頁
  63. ^ a b ルシュール、『書簡集』230-231頁
  64. ^ ルシュール、『書簡集』224頁
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  66. ^ ルシュール、『書簡集』231頁
  67. ^ a b c 沼野(1999)、28頁
  68. ^ チェレスタのマメ知識:チェレスタに近い楽器、鍵盤型グロッケンシュピール(株式会社ヤマハ 楽器解体新書) https://www.yamaha.com/ja/musical_instrument_guide/celesta/trivia/trivia005.html
  69. ^ ポケットスコア『海』音楽之友社、1992年、22頁
  70. ^ a b エクトール・ベルリオーズ、リヒャルト・シュトラウス 小鍛冶邦隆監修、広瀬大介訳『管弦楽法』(監修者注)、音楽之友社、2006年2月28日、ISBN 4-276-10682-6、559頁
  71. ^ 沼野(1999)、21頁
  72. ^ 菅原、前掲書10頁
  73. ^ ポンマー、前掲書7頁
  74. ^ a b 平島、前掲書421頁
  75. ^ バラケ、前掲書235頁
  76. ^ バラケ、前掲書237頁
  77. ^ a b 沼野(1999)、34頁
  78. ^ 沼野(1999)、31頁
  79. ^ バラケ、前掲書234頁
  80. ^ 小鍛冶、前掲書96頁
  81. ^ アンドレ・シェフネル『ドビュッシーをめぐる変奏-印象主義から遠く離れて』みすず書房、2012年2月14日、ISBN 978-4-622-07265-2、149頁
  82. ^ 小鍛冶、前掲書90頁
  83. ^ ピエール・ブーレーズ/クロード・サミュエル 笠羽映子訳『エクラ/ブーレーズ-響きあう言葉と音楽』青土社、2006年1月20日、ISBN 4-7917-6251-7、54頁
  84. ^ ブーレーズ、前掲書206頁
  85. ^ 小鍛冶、前掲書97頁
  86. ^ a b バラケ、前掲書240-241頁
  87. ^ ルシュール、『伝記』277頁
  88. ^ a b c 音楽之友社のポケットスコア巻末(163~166頁)、校訂報告
  89. ^ 全音スコア解説11頁
  90. ^ 沼野(1999)、30頁
  91. ^ 濱田滋郎 ポケットスコア『〈海〉3つの交響的素描』(解説)日本楽譜出版社、解説5頁
  92. ^ 次郎丸智希『武満徹作品における引用~『夢の引用-Say sea, take me!-』を中心に~』、お茶の水音楽論集第13号、2011年4月、NAID 120006323809
  93. ^ https://www.kintetsu.co.jp/senden/melody/





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