東京市
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政治
東京市長
東京市会
地方議会として東京市会が設置されていた。
不祥事
1900年(明治33年)12月22日、ガス料金値上げ問題などに関する贈収賄罪他で起訴された72名全員が有罪となった東京市会汚職事件(東京市疑獄事件)により、中心人物とされた星亨逓信相が辞職に至った(後任原敬)。
- 板舟権事件
- 京成電車疑獄事件
- 江東青果市場疑獄事件
- 円太郎汚職事件
教育
市立学校
- 学校の設置と運営については当初、東京市は初等教育機関の幼稚園と小学校を、東京府は中等教育機関の中学校と高等女学校をそれぞれ担当していたが、関東大震災後の学校不足を補うために東京市も中学校と高等女学校を設立するようになった。ナンバースクールの場合、府立は名称が「東京府立第○中学校(高等女学校)」だったのに対して市立の場合は「第○東京市立中学校(高等女学校)」だった。都制施行の際、東京市立の学校はすべて東京都に移管された。1948年(昭和23年)に幼稚園と小学校は特別区に再び移管された。
- 中学校
- 第一東京市立中学校 ⇒ 東京都立九段中学校 ⇒ 東京都立九段新制高等学校 ⇒ 東京都立九段高等学校 ⇒ 千代田区立九段中等教育学校
- 第二東京市立中学校 ⇒ 東京都立上野中学校 ⇒ 東京都立上野新制高等学校 ⇒ 東京都立上野高等学校
- 第三東京市立中学校 ⇒ 東京都立豊島中学校 ⇒ 東京都立文京新制高等学校 ⇒ 東京都立文京高等学校
- 高等女学校
- 第一東京市立高等女学校 ⇒ 東京都立深川新制高等学校 ⇒ 東京都立深川高等学校
- 東京市立忍岡高等女学校(第二市立高女)⇒ 東京都立忍岡高等学校
- 東京市立目黒高等女学校(第三市立高女)⇒ 東京都立目黒高等学校
- 第四東京市立高等女学校 ⇒ 東京都立竹台新制高等学校 ⇒ 東京都立竹台高等学校
- 実業学校
- 東京市立商業学校
- 東京市立京橋商業学校 ⇒ 東京市立芝商業学校 ⇒ 東京都立芝商業学校 ⇒ 東京都立芝商業新制高等学校 ⇒ 東京都立芝商業高等学校
- 東京市立四谷商業実務学校 ⇒ 東京市立四谷商業学校 ⇒ 東京都立四谷商業学校 ⇒ 東京都立四谷商業新制高等学校 ⇒ 東京都立四谷商業高等学校
- 東京市立深川商業学校
- 東京市立荒川商業学校 ⇒ 東京都立荒川商業学校 ⇒ 東京都立荒川商業新制高等学校 ⇒ 東京都立荒川商業高等学校
- 東京市向島女子商業学校 ⇒ 東京市立向島女子商業学校 ⇒ 東京都立向島女子商業学校 ⇒ 東京都立向島女子商業新制高等学校 ⇒ 東京都立向島高等学校 ⇒ 東京都立向島商業高等学校(向島工業高等学校と合併、東京都立橘高等学校へ)
- 東京市立牛込商業学校 ⇒ 東京都立牛込商業学校 ⇒ 東京都立牛込商業新制高等学校 ⇒ 東京都立牛込商業高等学校(池袋商業高等学校と合併、東京都立千早高等学校へ)
- 東京市立麻布商業学校
- 東京市杉並商業学校 ⇒ 東京市立杉並商業学校
- 東京市麹町商業学校
- 東京市立京橋実業学校 ⇒ 東京都立京橋実業学校 ⇒ 東京都立京橋新制高等学校 ⇒ 東京都立京橋商業高等学校(京橋高等学校と合併、東京都立晴海総合高等学校へ)
- 東京市立第一女子実業学校
- 東京市立浅草実務女学校 ⇒ 東京都立浅草高等実践女学校 ⇒ 東京市立浅草高等実践女学校 ⇒ 東京都立隅田女子商業学校 ⇒ 東京都立台東新制高等学校 ⇒ 東京都立台東高等学校 ⇒ 東京都立台東商業高等学校(東京都立浅草高等学校へ改組)
- 東京市本所区第一実業女学校 ⇒ 東京市本所高等実践女学校 ⇒ 東京都立本所高等実践女学校 ⇒ 東京都立本所高等女学校 ⇒ 東京都立本所新制高等学校 ⇒ 東京都立本所高等学校
- 帝都家政女学校 ⇒ 東京市立忍岡女子商業学校 ⇒ 東京都立忍岡女子商業学校 ⇒ 東京都立上野忍岡高等学校(旧・忍岡高等学校と合併、東京都立忍岡高等学校へ)
- 東京市立第四工業補習学校 ⇒ 東京市立第四実業学校 ⇒ 東京市立小石川工業学校 ⇒ 東京都立小石川工業学校 ⇒ 東京都立小石川工業新制高等学校 ⇒ 東京都立小石川工業高等学校(東京都立総合工科高等学校へ改組)
- 東京市立深川工業学校 ⇒ 東京都立深川工業学校(本所工業学校へ合併)
- 東京市立工業補修夜間学校 ⇒ 東京市立第一工業補修学校 ⇒ 東京市立第一実業学校 ⇒ 東京市立高輪工業学校 ⇒ 東京都立高輪工業学校(麻布工業学校、渋谷工業学校と合併して新制東京都立港工業高等学校へ)
- 東京市立浅草工業専修学校 ⇒ 東京市立蔵前工業学校 ⇒ 東京都立蔵前工業学校 ⇒ 東京都立蔵前工業新制高等学校 ⇒ 東京都立蔵前工業高等学校
- 桃井実業補修学校 ⇒ 東京市立杉並工業学校 ⇒ 東京都立杉並工業学校(農産化学工芸学校と合併、新制東京都立中野工業高等学校へ)
- 東京市立向島工業学校 ⇒ 東京都立向島工業学校 ⇒ 東京都立向島工業新制高等学校 ⇒ 東京都立向島工業高等学校(向島商業高等学校と合併、東京都立橘高等学校へ)
- 東京市立麻布商工実務学校 ⇒ 東京市立麻布工業学校 ⇒ 東京都立麻布工業学校(高輪工業学校、渋谷工業学校と合併して新制東京都立港工業高等学校へ)
- 東京市立渋谷商業学校 ⇒ 東京都立渋谷商業学校 ⇒ 東京都立渋谷工業学校(高輪工業学校、麻布工業学校と合併して新制東京都立港工業高等学校へ)
- 東京市立蒲田工業学校 ⇒ 東京都立蒲田工業学校 ⇒ 東京都立一橋工業学校 ⇒ 東京都立神田高等学校(今川高等学校と合併、東京都立一橋高等学校へ)
- 東京市立王子工業学校 ⇒ 東京都立王子工業学校 ⇒ 東京都立王子工業新制高等学校 ⇒ 東京都立王子工業高等学校(廃止)
- 東京市立城東工業学校 ⇒ 東京都立城東工業学校 ⇒ 東京都立江東工業新制高等学校 ⇒ 東京都立江東工業高等学校(廃止)
- 東京市立本所区工業学校 ⇒ 東京市立本所工業学校 ⇒ 東京都立本所工業学校 ⇒ 東京都立本所工業新制高等学校 ⇒ 東京都立本所工業高等学校
- 東京市立農産化学工芸学校 ⇒ 東京都立農産化学工芸学校(杉並工業学校と合併、新制東京都立中野工業高等学校へ)
図書館
東京市立図書館は28館が設置され、その後の都制施行により東京都立図書館に移行したが、第二次世界大戦の激化により閉館が相次ぎ、さらに戦争末期の空襲で多くの施設や蔵書を焼失した。戦後、区部にあった都立図書館は中核的存在だった日比谷図書館を除いて各区に移管された。
博物館
- 東京郷土資料陳列館 - 1934年(昭和9年)、有栖川宮記念公園敷地内で開館するも戦災により荒廃し、資料は武蔵野博物館へ引き継がれた。武蔵野博物館はその後、武蔵野郷土館時代を経て江戸東京たてもの園となっている。
東京市の名残
東京都章[11]及び東京都旗は旧東京市章を継承したものである。ただし現在では1989年(平成元年)に制定されたTの字を図案化した東京都シンボルマークの方が多く使われている。
1926年(大正15年)制定の「東京市歌」(作詞・高田耕甫、作曲・山田耕筰)は、1947年(昭和22年)の「東京都歌」制定後も廃止されず都歌に準じた扱いで存続している[12]。
「都民の日」である10月1日は、一般市制による東京市発足の日にちなむものである。
警視庁の区部警察署の所轄区分は、東京35区当時の区分を踏襲している。
- ^ 精選版 日本国語大辞典「東京」
- ^ 都の紋章・花・木・鳥・歌
- ^ 日露戦争(NHK高校講座日本史)
- ^ 日本の戦略文化と戦争 (PDF) (国際地域学研究 第13号 2010年3月)
- ^ 交通・運輸の発達と技術革新:歴史的考察(東京大学出版会 1986年)
- ^ 第2章 京浜工業地帯の発展と相次ぐ試練の半世紀 (PDF) (横浜税関)
- ^ 新宿新都心と淀橋浄水場(社団法人 東京建設業協会『東建月報』2月号)
- ^ a b 東京日日新聞「大東京 新設二十区の区域・名称決定 書類内務省へ送付」 1932.5.7
- ^ 読売新聞「注目さるる内相裁断 答申案愈よ年内本極り 都制案の行く手」1938年12月10日
- ^ 中外商業新報「東京都制案要綱 二十日特別委員会で議決」1938年12月14日
- ^ 東京都紋章
- ^ “東京都歌・市歌”. 東京都生活文化局 (2014年2月4日). 2020年3月28日閲覧。
- ^ 日高直俊,手塚慶太,福井恒明 ほか「首都圏における飛行場と都市計画」『土木史研究』、科学技術振興機構、doi:10.2208/journalhs1990.22.281、2018年7月13日閲覧。
固有名詞の分類
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