本朝世紀 概要

本朝世紀

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/26 08:46 UTC 版)

概要

六国史』の後を継ぐ史書として、鳥羽上皇の命により、信西(藤原通憲)久安6年(1150年)冬から編纂を開始した[1]。成立は1150年から1159年[注釈 1]。全20巻。

『六国史』の最後となった『日本三代実録』に続くもので[4]宇多天皇877年以降、近衛天皇(在位1141年 - 1155年)までを扱う。本文は、外記日記といった政府の公日記を土台としており、さらに外記官人の私日記などを補足的に使用していた[5]。信西が平治の乱(1159年)で死亡したため、未定稿に終わったうえ、多くが散逸している。内容は、朝廷の儀式や政務に関わるものが記載されている[4]。現存しているのは935年 - 1153年のうち一部であるが、同時代の歴史・世相風俗を伝える好史料である[注釈 2]。さらに未完とはいえ『六国史』以後のまとまった史書として、かつ現在残り少ない宮府の記録の遺文として高い価値を持つ。

受容

完成していた部分は宇多天皇の時期の箇所であったとされる[1]。その他、十七代の天皇の国史は未定稿であった[1]。しかし完成部分は室町時代までで姿を消し、反対に未定稿箇所が転写されるなどによって世に流布することとなった[1]。江戸時代に入ると、霊元天皇伏見宮家に伝わった本朝世紀を廷臣に命じて書写させ、さらに江戸幕府へ書写本を送ったりした[1]。以降、本朝世紀は再び世に知られるようになり、江戸中期以降は廷臣や学者によってさらに書写がおこなわれ流布した[1]

翻刻は『新訂増補 国史大系』などに収められている。同書では、鎌倉時代の写しとされる伏見宮家本および旧制第一高等学校に所蔵されていた一高本を底本としている[7][8]


注釈

  1. ^ 『史官記』『外記日記』とも呼ばれる。しかし、これらの表記は後世に便宜的に付けられたものである[2][3]
  2. ^ 志多羅神上洛事件など、同記特有の記録もある[6]

出典

  1. ^ a b c d e f 橋本1976, 414-420頁。
  2. ^ 橋本1976, 412-414頁。
  3. ^ 吉岡真之. "本朝世紀". 改訂新版 世界大百科事典. コトバンクより2024年3月26日閲覧
  4. ^ a b 坂本2020, 63頁。
  5. ^ 橋本1976, 424-428頁。
  6. ^ 阿部泰郎「院政期文化の特質」、歴史学研究会・日本史研究会 編『日本史講座 第3巻 : 中世の形成』所収、東京大学出版会、2004年、208頁、ISBN 4130251031
  7. ^ 藤原重雄 (2022年8月25日). “一高本『本朝世紀』|column|東京大学『学内広報』No. 1561”. 東京大学. 2023年7月4日閲覧。
  8. ^ 藤原重雄 2020.


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