川場村
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/10 15:11 UTC 版)
かわばむら 川場村 | |||||
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国 | 日本 | ||||
地方 | 関東地方 | ||||
都道府県 | 群馬県 | ||||
郡 | 利根郡 | ||||
市町村コード | 10444-2 | ||||
法人番号 | 8000020104442 | ||||
面積 |
85.25km2 | ||||
総人口 |
3,314人 [編集] (推計人口、2024年1月1日) | ||||
人口密度 | 38.9人/km2 | ||||
隣接自治体 | 沼田市、利根郡みなかみ町、片品村 | ||||
村の木 | ヒメコマツ | ||||
村の花 | シャクナゲ | ||||
川場村役場 | |||||
村長 | 外山京太郎 | ||||
所在地 |
〒378-0101 群馬県群馬県利根郡川場村大字谷地2390-2 北緯36度41分41秒 東経139度06分23秒 / 北緯36.69464度 東経139.10647度座標: 北緯36度41分41秒 東経139度06分23秒 / 北緯36.69464度 東経139.10647度 | ||||
外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||
ウィキプロジェクト |
地理
隣接している自治体
歴史
沿革
- 1889年4月1日:町村制施行に伴い利根郡に川場村誕生。
- 1971年:過疎地域指定を受ける[1]。
- 1975年:「農業プラス観光」を地域振興の基本理念として種々の地域振興策を講じる[1]。
- 1981年:東京都世田谷区と縁組協定を締結、世田谷区民健康村の誘致など、交流を始める[2]。
- 2000年:過疎地域指定解除[1]。
「平成の大合併」について
21世紀初頭に日本中で行われた平成の大合併は川場村にとっても例外ではなく、当初沼田市に利根郡8町村を加えた枠組での合併が検討された。
一方、2002年1月に村の若手管理職らで構成される研究会が報告で「村単独の存続」「周辺町村との合併」に加え、それまで20年以上交流を続けていた「東京都世田谷区との合併」を選択肢の1つとして提示した。これについて横坂太一村長(当時)は「近いから合併するというではなく、ソフト面での結びつきを考えなければならない」と肯定的な見解を述べ、世田谷区の大場啓二区長(当時)も「合併の申し入れがあれば、財政的な負担も含めて検討する」と応じた[3]。法的には合併は可能であり、県境を接しない飛び地合併の初めてのケースという事で注目を集めたが、現実に村と区とでは160kmも離れている上、群馬県の中に東京都の飛地ができるのは、地域感情や手続き(県議会・都議会の議決および両知事の承認が必要となる)といった面で様々な難しい問題を生じさせかねない事から、実現しなかった。
2005年には利根郡域において、昭和村と片品村を除く5町村が沼田市(編入)とみなかみ町(新設)に再編され、川場村は単独の生き残りを選択する事となった。
人口
川場村と全国の年齢別人口分布(2005年) | 川場村の年齢・男女別人口分布(2005年) | ||
■紫色 ― 川場村
■緑色 ― 日本全国 |
■青色 ― 男性
■赤色 ― 女性 | ||
川場村(に相当する地域)の人口の推移 | |||
総務省統計局 国勢調査より |
- ^ a b c 関岡東生, 南橋友香「群馬県川場村における民間宿泊業の現状と課題」『東京農業大学農学集報』第57巻第3号、東京農業大学、2012年12月、205-215頁、ISSN 0375-9202、NAID 110009523578。
- ^ 三田育雄「都市との交流と山村の村づくり--川場村における試行」『造園雑誌』第48巻第1号、日本造園学会、1984年8月、42-47頁、ISSN 03877248、NAID 110004662158。
- ^ a b “朝日新聞 2002年2月17日 群馬の中に世田谷区? -160キロ越えて合併検討-”. 朝日新聞社
- ^ “議員の紹介 勤続年数・年齢順 - 群馬県議会(令和5年4月30日現在)”. www.pref.gunma.jp. 群馬県. 2023年4月30日閲覧。
- ^ 2010年7月2日付の読売新聞朝刊地域面より
- ^ 『電気事業要覧. 第13回』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 繁栄願う〝旅芸人一家〟 川場で門前春駒 上毛新聞動画ニュース、2013年02月11日
固有名詞の分類
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