小林彰太郎 人物

小林彰太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/21 04:43 UTC 版)

人物

大企業の創業者一族出身というその育ちの良さもあり、常に紳士的かつ謙虚な振る舞いであったと周囲から称されており[9][10]、服装などの身嗜みにも常に気を配っていたという[11]。高尚で華麗な文体と、ときに歯に衣着せぬ辛辣な内容の原稿を書くことで知られたが[9][12]、その一方で、ジャーナリスト・評論家としては異風とも言える、朴訥な人柄と語り口でも知られた[13]。小林自身は「生涯現役」という願望を常日頃口にしていた[2]。 

私生活では、息子の小林大樹曰く「基本的に、車以外に娯楽がない家」で、車主体の生活であった[13]長野県軽井沢町別荘を所有し、別荘の車庫にも数台クラシックカーを保管していた[14]。小林によれば軽井沢は昔から走るのに楽しい土地で、クラシック・ブガッティを足代わりに走り回っていた[14]。また、軽井沢には自動車趣味を共有する友人がいて、星野リゾート創業者一族の星野嘉苗と交流があったり、近衛忠輝甯子夫妻を乗せてランチア・ラムダでドライブしたとも語っている[14]。テレビ番組「ニュースステーション」でも紹介され、久米宏が軽井沢を訪ねている。また著書「小林彰太郎の世界」の表紙は、小林が軽井沢の緑の中をクラシックカーで走る写真が使用されている。

評価

第二次世界大戦後の日本に自動車ジャーナリズムを創出し位置づけたパイオニアと評される。歴史や技術を踏まえた上で自身の経験を通して執筆される味わいある文章は単なる評論の域を超えており、イギリス流の自動車趣味や海外の自動車事情・文化・歴史を紹介、アマチュアリズムをもつプロのジャーナリストを実践した。

黎明期の日本のモータスポーツの普及発展においても、日本国外レースの記事執筆や、指南書(ポール・フレール著『ハイスピードドライビング』)の翻訳を通じて大きな役割を果たしている。日本の自動車に技術面、文化面から与えた影響はあまりに大きい。

カーグラフィックTV』で小林と度々共演した音楽家の松任谷正隆は、「ピアニストだったらルービンシュタインとか、バックハウスとかに会うくらい、小林さんに会うというのは大変なことだったんです」と語っている[15]

所有車

小林は意外にも、基本的には大きな高級車よりも身軽な小型車、そして、たとえ価格の安いクルマでもしっかりとした信念に基づいて設計されたものを好んで所有した[16]。自身でこれまで所有した乗用車は、以下の通り[5]

小林が最初に手に入れたクルマ。1928年型チャミー(Chummy)・ツアラーのほか、1929年型Type B Coupe、1932年型の3台を所有したが、最初に手に入れたのは1932年型である。
1924年型。「もしたった1台の車しか持てないとしたら、僕は躊躇なくランチア・ラムダを選ぶ」と述べるほど、最も好んだクルマ。
1926年型。前オーナーに、松平康昌侯爵や、作曲家の仁木他喜雄がいる[17]1976年に入手。スクラップ同然の状態をレストアした。
1928年型。1971年にイギリスから輸入。
レストア用に購入したが果たせずに終わる。
  • インヴィクタ英語版4 1/2リットル
政治家の渡辺甚吉が国内初代オーナーの1929年型。1939年多摩川スピードウェイで開催された「第1回日本自動車競争大会」の優勝車[18]。レストア用に購入したが果たせずに終わる。
1938年型。1970年代に所有した。
1949年型。友人と共同オーナーとして購入し、満里子夫人との新婚旅行にも用いられた。
英国製ライト・フィフティーン。
1964年にヨーロッパ12,000kmを走破。
エンジンとギアボックスをMGA用パーツでチューンアップ。
設計思想や造りの良さを称賛。リアのインボードブレーキのパッド交換をメインテナンス上の難点と指摘している。

など


  1. ^ a b c 自動車実学に徹したモータージャーナリスト 小林彰太郎, 日本自動車殿堂.
  2. ^ a b c 小林彰太郎氏 追悼”ホンダ公式ホームページ
  3. ^ 小林彰太郎『昭和の日本 自動車見聞録』(トヨタ博物館 , 2013年)商品解説より
  4. ^ 小林彰太郎さん死去 自動車専門誌「カーグラフィック」名誉編集長, J-CAST ニュース, 2013年10月29日.
  5. ^ a b c d e 小林彰太郎が語る「車への熱き思い」[リンク切れ] Vitalite インタビュー
  6. ^ 一般社団法人成蹊会
  7. ^ “「カーグラフィック」名誉編集長・小林氏が死去”. YOMIURI ONLINE. (2013年10月29日). オリジナルの2013年10月29日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20131029202052/http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20131028-OYT1T01143.htm 2014年10月25日閲覧。 
  8. ^ 【小林彰太郎 お別れの会】”. CAR GRAPHIC公式Facebook (2013年12月19日). 2014年10月15日閲覧。
  9. ^ a b 松本 葉の自動車を書く人々 第1回 小林彰太郎, 2019.05.31, CarMe.
  10. ^ 大谷アキオのマッキナ あらモーダ!第375回:小林彰太郎氏はナウかった! 没後1周年寄稿(前編), 2014.11.27, webCG.
  11. ^ 大谷アキオのマッキナ あらモーダ!第323回:エディター、小林さん、彰ちゃんー 「最後の部下」による小林彰太郎氏の思い出 (前編), 2013.11.21, webCG.
  12. ^ 『小林彰太郎名作選』のご紹介, 2014.12.01, webCG.
  13. ^ a b 〈車笛〉「息子から見た小林彰太郎」小林大樹, 2014.04.05, 日刊自動車新聞.
  14. ^ a b c 第一編集局セオリープロジェクト『あなたの知らない軽井沢 〔セオリー〕2010 vol.4』(講談社, 2010年7月24日刊), 76 - 81頁に所収。
  15. ^ 松任谷正隆:還暦と放送1300回記念で「カーグラフィックTV」SP企画, 2011.11.05, MANTAN WEB.
  16. ^ バックナンバー: #1505, 2015.10.25放送, カーグラフィックTV.
  17. ^ 「AUTOMOBILE COUNCIL 2016」で見かけたビンテージカーたち, 2016.08.12, 価格.comマガジン.
  18. ^ 多摩川レーサー、最後の凱旋, December 2021, カーグラフィック.
  1. ^ 現在の表紙タイトルが「CAR GRAPHIC」との英字であるのに対して、創刊時から1969年末までは「CARグラフィック」であった


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