大衆小説 西洋文学

大衆小説

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/25 15:25 UTC 版)

西洋文学

源流

西洋にはルネサンス期から書かれ続けた厖大な大衆小説が存在する。中世ヨーロッパではロマンスと呼ばれる冒険物語や騎士道物語が広く読まれており、ケルト人の民間伝承だったアーサー王について12世紀以降に韻文、散文の物語として書かれて、広くヨーロッパに広まった。12世紀には(従来のラテン語でなく)フランス語で書かれた読み物も書かれ始め、筆写が盛んに行われて本が広まっていくようになる。13世紀には寓意的な「薔薇物語」が大流行し、動物叙事詩「狐物語」がヨーロッパ各地に広まり、ファブリオーと呼ばれるユーモラスな小話が多く書かれた。スペインで13世紀頃に成立した「アマディス・デ・ガウラ」は人気を呼び、類似の「英国のパルメラン」「ギリシャのベリアヌス」「森のパルテのペクス」などのロマンスが書かれた。

14世紀イタリアではノヴェッラ(新奇な物語)が生まれ、ボッカッチョデカメロン」がある。15世紀に印刷術が広まり、騎士道物語のパロディー的なラブレーガルガンチュワとパンタグリュエル」が広く読まれ、16世紀イタリアではピカレスク(悪漢小説)が読まれた。

16世紀以降、行商人の中に、武勇談、滑稽譚や中世の小説の翻案などを含む、本の行商を専門にする者が現れ、17世紀フランスではトロワ地方で作られた青い表紙のものが広まり「青表紙本」と呼ばれた。18世紀末からは貸本屋も生まれ、女性、奉公人、職人といった読者を集めた。イギリスでも17世紀頃からチャップ・ブックと呼ばれる大衆向けの簡素な本が登場し、小説以外にも旅行ガイドなど様々なものが扱われた。その後、コーヒー・ハウス向けの刊行物や、貸出し図書館(en:Lending library)がイギリス、ついでフランス、ドイツでも普及したことで、高価な単行本を購入できない庶民も手頃な金額で本を読めるようになった。18世紀末頃における貸出し図書館の人気作品としては『トム・ジョウンズ』『アミーリア』『ダフニスとクロエ』『ファニー・ヒル』『ジョゼフ・アンドリュース』などがあった。

近代以降

欧米では19世紀に同時的に大衆向けの出版業が栄えた。

ディック・ターピンの登場するハリスン・アインズワス『ルークウッド』の挿絵

イギリスでは18世紀半ばから始まった産業革命によって生まれた中産階級向けに新聞や定期刊行物が登場し、庶民層に読書という余暇の形態が生まれた。19世紀に入るとさらに鉄道の登場などによって流通網が整備され、出版業が栄えた。この初期にはスコットランドの伝承を始めとした物語を書いたウォルター・スコットによって、歴史小説が大きな分野として確立する。またコールリッジバイロンなどのロマン主義作家が想像力を重視した作品を作ると同時に、労働者階級の貧困や孤独を生み出した合理主義的精神を打破する文学形式としての妖精譚にチャールズ・ディケンズサッカレーなども注目するようになり、ジョン・ラスキン『黄金の河の王様』などが書かれ、やがてロード・ダンセイニデイヴィッド・リンゼイなどのモダン・ファンタジーが生まれるようになった[10]エリファス・レヴィらによるオカルティズムの流行によって、シェリダン・レ・ファニュウィルキー・コリンズなど多くの怪奇小説も生み出された。

当時のイギリスにおける小説の出版形態は、雑誌などの定期刊行物に連載され、完結後に改めてまとめられて書籍で発行されるものと、トリプル・デッカー英語版と呼ばれる長編作品を最初から全3巻に分冊してまとめて刊行する形態が主流であった。前者の場合は1話ごとの価格は比較的安く庶民でも購入できたのに対し、後者の価格は庶民が買うには高く、もっぱら出版社や著者は貸出し図書館や貸本屋に本を売り、庶民は会員費を払ってそれを借りて読むのが一般的だった。前者の連載形態の代表がディケンズであり、後者の形態で出版されたものとして今日に知られる作品としてはメアリー・シェリーゴシック小説フランケンシュタイン』がある。ディケンズの作品は貧民層や庶民層を題材とし、大衆に人気を博した。また、ディケンズのような正当な小説家の作品よりもさらに安い価格で登場した定期刊行物が「ペニー・ドレッドフル」であった。犯罪者などを主人公として扱う内容は低俗なものであり、中には人気作のパロディやもっとあからさまな剽窃作品もあったが、これも広く大衆人気を集め、数年単位で長期連載されたものも少なくなかった。18世紀に実在したハイウェイマン(追い剥ぎ)であるディック・ターピンを主人公とした悪漢小説的なハリスン・アインズワス『ブラック・ベス』は大きな人気を誇り、完結までに2000ページを超えた。『吸血鬼ヴァーニー』は後のフィクションの吸血鬼の設定に大きな影響を与え、『真珠の首飾り』の主人公である殺人鬼の理髪師スウィーニー・トッドは現代でもミュージカルや映画に翻案されている。こうした作品群は犯罪を助長するものとして社会問題化されたが、1890年代に新聞王アルフレッド・ハームズワースが商業的に駆逐に乗り出すまで残り続けた。19世紀末に入るとR.L.スティーヴンソン宝島』、H.R.ハガード『ソロモン王の洞窟』、アーサー・コナン・ドイルシャーロック・ホームズシリーズ、『勇将ジェラールの回想』などの冒険小説騎士道小説が人気を集める。歴史小説でも、スタンリー・ウェイマン、ラファエル・サバチニがすぐれた作品を送り込み、ゴシック小説の流れも途絶えることはなく、1897年には現代における吸血鬼のイメージを確立したブラム・ストーカーの怪奇小説『吸血鬼ドラキュラ』が出版されている。

フランスでは、フランス革命後にパリに出て来た貧困な青年たちは、印刷物の低価格化による読者層の増大にともない、小説によって収入を得る道を得て、通俗文学が生まれる。革命から19世紀初めには多くの恋愛小説や、書簡体小説、歴史小説、暗黒小説といった作品が見られ、人気作家ポール・ド・コックの新作が出ると本屋を襲撃せんばかりに客が押し寄せたと言われている。1836年に創刊『ラ・プレス』紙を始めとして、新聞連載小説(ロマン・フィユトン)で多くの大衆文学が書かれるようになり、アレクサンドル・デュマの作品は絶大な人気を持ち、ミュルジュ『ボヘミアン生活の諸場面』、シャンフルーリ『モランシャールの町の人々』、デルヴォ『パリの裏面』『二月革命史』などが人気を集めた。1850年には、フランス政府が一般新聞に連載する小説に1サンチームの税を課すなどの弾圧も加えられた。また鉄道網の広まりから、駅の売店で販売されるようになった本にも、大衆的な小説が取り入れられるようになる。これら通俗文学の流れは、エミール・ゾラらの民衆文学に引き継がれる。またフランソワ・ヴィドック『ヴィドック回想録』、ウージェーヌ・シュー『パリの秘密』など犯罪や探偵の要素が入り込んだ作品が後の探偵小説の発生に影響を与えた。1857年から連載が始まったポンソン・デュ・テラールの『ロカンボル』は、主人公が幾度も登場(復活)するシリーズ作品の嚆矢となる。また1870年代にはフォルチュネ・デュ・ボアゴベイの歴史小説や探偵小説が人気を博する。それら通俗小説の一部は翻訳や翻案という形で日本の大衆小説にも影響を与えた。シャーロック・ホームズの影響により、20世紀に入るとモーリス・ルブランアルセーヌ・ルパンシリーズや、ガストン・ルルールールタビーユシリーズといったヒーロー小説も生まれた。

ダイムノヴェルとして刊行されたエドワード・L.ウィーラー『セス・ジョーンズ』表紙

アメリカでは、ジェイムズ・フェニモア・クーパーの、建国時代を舞台にした「皮脚絆物語」を始めとする冒険物語はアメリカ国民に広く読まれ、またその後の西部劇の源泉ともされている。1830年代には「ストーリー・ペーパー英語版」と呼ばれる8ページの週刊物語新聞、1840年代になると週刊新聞『ニューワールド』紙の特別版などが人気を博した。その後鉛版印刷術英語版電気製版術英語版といった印刷技術の発達により安価な出版が可能となり、1860年代に「ダイムノヴェル」と呼ばれる、10セント(1ダイム)で128ページの小型版のアメリカ人作家による読み切り小説のシリーズ、続いて同種の様々なシリーズが刊行された。それらの物語は、冒険小説、ウェスタン小説家庭小説恋愛小説、探偵小説、SF小説などであり、従来の小説の読者層である上流・中流階級だけでなく、労働者階級や少年少女層にも読者を大きく広げた。ダイムノヴェルの初期にもっとも売れた作品として、アン・S.スティーヴンズ『マラエスカ 白人ハンターとインディアン妻』(1860)、エドワード・S.エリス『セス・ジョーンズ フロンティアの捕虜』(1860)などがあり、エドワード・L.ウィーラー(Edward Lytton Wheeler)の描いたアウトローのヒーローデッドウッド・ディックと男装のヒロインカラミティ・ジェーンのシリーズも人気を得た。こうしたダイムノヴェルの人気作はイギリスに輸出され、先に挙げた「ペニー・ドレッドフル」の形態で出版されたものもあった。ジョン・ラッセル・コリエルが1886年に創造した探偵ニック・カーターは、多くの作家によって書き継がれて「アメリカのシャーロックームズ」とも呼ばれる。また1892年から出版された ルイス・P.セレナンズフランク・リード・ライブラリーは世界最初のSFシリーズとされ、スティームマン(蒸気機関人間)や電気飛行船などの科学技術を駆使して世界中に冒険旅行に出かける物語だった。また一方でこれらは低俗な読み物という評価も受けた。アメリカでの雑誌はスリック・マガジンと呼ばれる総合誌が主流だったが、『アーゴシー』が1896年に娯楽小説専門誌として、粗末なザラ紙を使ったパルプ・マガジンとなってからは、分野ごとに特化したパルプ・マガジンの専門誌が次々と生まれた。

20世紀に入るとドイツでもリオン・フォイヒトヴァンガーが知識階級から大衆まで人気を得た世界的ベストセラーになった。映画の流行とともに、上映と並行して小説が発売される「シネロマン」という形態も生まれた。

第一次世界大戦後のヨーロッパではミステリ小説ピカレスク小説、「外套と短剣(Cloak and Dagger)」や恋愛小説がマスコミの発達とともに量産された。ホール・ケインなどによる、恋愛や家庭的事件を扱った問題小説(problem story)という分野は女性に人気を持ち、Sugar coated problem storyとも呼ばれた。エドガー・ウォレスの探偵小説は非常な人気を得たが、その多作ぶりのためバーナード・ショーには"Cheap Literature"、共産党の新聞からは"Shocker"といった悪評も受けた。


注釈

  1. ^ 中里介山は余は大衆作家にあらずという短い論考を残した[2]
  2. ^ 『日本国語大辞典』では、里見弴『桐畑』(大正9年)で、主として若い女を泣かせるような薄幸の女を描く小説の意で「通俗小説」の語が使われている。
  3. ^ この『現代大衆文学全集』から「大衆文学」という言葉が一般化した。

出典

  1. ^ 『改造』1919年6月号掲載の広告
  2. ^ 中里介山. “余は大衆作家にあらず”. www.aozora.gr.jp. 青空文庫. 2023年7月25日閲覧。
  3. ^ 田山録弥. “通俗小説”. www.aozora.gr.jp. 青空文庫. 2023年7月25日閲覧。
  4. ^ 紅野敏郎「大衆文学、近代文学史の文脈で」(『國文學』1986年8月号(特集・大衆文学-物語のアルケオロジー)
  5. ^ 尾崎秀樹「白井喬二論」(『大衆文学論』)
  6. ^ 磯田光一川本三郎「対談 大衆文化、近代化のなかで」(『國文學』1986年8月号(特集・大衆文学-物語のアルケオロジー)
  7. ^ 保昌正夫「モダニズムの饗宴」(『日本文学の歴史 12 現代の旗手たち』角川書店 1968年)
  8. ^ 尾崎秀樹『大衆文学』
  9. ^ 瀬沼茂樹『近代日本の文学』社会思想社 1959年
  10. ^ 風間賢二編『ヴィクトリア朝妖精物語』筑摩書房 1990年






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