和服 和服の種類

和服

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/15 05:05 UTC 版)

和服の種類

現在の和服には、大人の男性・女性用・子供用がある。男性用と女性用の和服のそれぞれに、正装・普段着・その間の服がある。基本的に男女両用の和服はないが、本来男性用とされていた和服を女性も着るようになるという現象は歴史上しばしばある。羽織などは明治期以降一般化しているし、現代では法被や甚兵衛なども女性用がある。

女性用の正装の和服

正装用の着物は、原則的に結婚式・叙勲などの儀式・茶会など格の高い席やおめでたい儀式で着用される。

後、マスメディアの発達に伴い、正装のルールが全国規模で統一され始め、合理化もされた[36]。 例えば留袖や訪問着などの格の高い礼装は本来は丸帯であったが、現在丸帯は花嫁衣裳と芸者の着物に残るくらいで一般にはあまり用いられなくなり、戦後は主に袋帯が用いられている。

現代の格の高い正装用の着物には、絵羽模様(えばもよう)によって柄付けがなされている。絵羽模様とは、反物を着物の形に仮縫いした上に柄を置くように染めた模様で、脇や衽と前身頃の縫い目、背縫いなどの縫い目の所で模様が繋がるような模様に染めたものである。

おめでたい場所に着る礼装用の着物の模様には、縁起の良いもの、七宝・橘・鳳凰・鶴・亀などの「吉祥模様」や、昔の貴族のような豪華で華やかな模様、檜扇・宝舟・貝桶・御殿・薬玉などを表した「古典模様」が使われていることが多い。あまり趣味性の強い柄は改まった席には向かないとされる。

黒留袖
雅楽の模様の黒留袖
留袖
既婚女性の正装。生地は地模様の無い縮緬が黒い地色で染められており、五つ紋(染め抜き日向紋)をつける。絵羽模様は腰よりも下の位置にのみ置かれている。
留袖
黒以外の地色で染められた留袖。本来は既婚女性の正装であったが、最近では未婚の女性に着用されることも多い。生地は縮緬だけではなく、同じ縮緬でも地模様を織り出したものや綸子を用いることもある。黒留袖は五つ紋であるが、色留袖の場合五つ紋だけではなく三つ紋や一つ紋の場合もある。宮中行事では黒が「喪の色」とされており黒留袖は着用しない慣例になっているため、叙勲その他の行事で宮中に参内する場合、色留袖が正式とされている。黒留袖は民間の正装とされている。
振袖
主に未婚女性用の絵羽模様がある正装である。五つ紋を入れる場合と入れない場合があり、後者は格の高い場へ着用して行くのは望ましくない。袖の長さにより、大振袖、中振袖、小振袖があり、花嫁の衣装などに見られる袖丈の長いものは大振袖である。近年の成人式などで着用される振袖は中振袖となっている場合が多い。絵羽模様に限らず小紋や無地で表された振袖も多い。
訪問着
女性用(未婚、既婚の区別なし)の絵羽模様がある正装である。紋を入れる場合もある。生地は縮緬や綸子・朱子地などが用いられることが多いが、地で作られたものもあるが、はあくまでも普段着であるため、訪問着であっても正式な席には着用できない。
喪服
五つ紋付き黒無地。関東では羽二重、関西では一越縮緬を使用することが多い。略喪服と言って、鼠や茶・紺などの地味な地色に黒帯を合わせる喪服もある。略喪服(色喪服)は参列者及び遠縁者など血縁の近さ遠さによって黒喪服を着るのが重い場合や、年回忌の折に着用する(通常は三回忌以降は略喪服を着ることが多い)。古来は喪の礼装であるため、長着の下に留袖と同じく白い下着(重ね)を着ていたが、現在では礼装の軽装化と「喪が重なる」と忌むことなどもあり下着は用いられないのが一般的である。未婚、既婚、共に着用するものである。本来は白いものであった(現在でも白い喪服を用いる地方もある)が、明治以降黒=礼装の色と定められたことと、洋装の黒=喪という感覚の影響で現代では黒が一般的である。
付け下げ
訪問着を簡略化したもので、絵羽模様ではなく、反物の状態のまま染色し、縫うと訪問着のような位置に柄が置かれるものである。一見訪問着と見まがうものもあるが、訪問着との大きな違いは柄の大きさや縫い目での繋がりの他、八掛(裾回し)が表地と同じもの(共裾)ではなく、表との配色が良い別生地を用いている点である。略式礼装に当たるため儀式などの重い席には着用されることが少ないが、趣味性の強い柄付けや軽い柄付けの訪問着より古典柄の付け下げの方が格が上とされる。一般的な付け下げは儀式ではないパーティーなどで着用されることが多い。
女性用の袴は女学生や教師の正装の一つとされる。明治・大正時代に、学校で日常的に着る服として女学生の袴姿が流行したことが、日本の文化として定着した。現在でも入学式・卒業式などの学校の儀式で袴は正装として着用されている。

女性用の普段着の和服

女性用の普段着には小紋浴衣などがある。

男性用の正装の和服

なお、江戸初期まで武家の男性は婚礼において直垂または大紋素襖を着用し、くだけた場でもを着ていた。

男性用の正装の和服には、五つ紋付、黒の羽二重地、アンサンブル、縦縞の仙台平などがある。紋が付いた服(紋付)を着用する場合、足袋の色は白にする。草履を履くときは畳表のものを履く。履物の鼻緒の色は、慶事のときは白、弔事のときは黒にする。小物の色も同様に、慶事のときは白、弔事のときは黒にする。正装の度合いについては羽二重、お召、無地紬の順で格が下がる。羽織を着るべき場面か、着なくてもいい場面かの判断は、洋服の背広やジャケットの場合に類似する。なお、茶会では羽織は着用しない。

また、紋の数や種類によっても挌が決まるので正式な黒紋付として黒羽二重に紋を付けるときは、日向紋を5つ付ける。無地お召や紬などにも紋を付けるが、この地で五つ紋をつけて正装として着ることはしないので、現在ではこの地の場合は染め抜きではなく陰紋として刺繍などで付けることが多く、その数も三つ紋か一つ紋になることが多い。

現在の男性用の正装の和服を特徴づけるのは、長着、羽織、および袴である。アンサンブルは、和服の正式な用語としては「お対(おつい)」と言い、同じ布地で縫製 した長着と羽織のセットを指す言葉である。しかし、長着と羽織に違う布地を使って、男性用の正装の和服として長着と羽織をコーディネイトした服をセットで「アンサンブル」と称して販売されていることは多い。

正式な場所での男性の正装の着用には必ず袴を着用する。男性の袴は「馬乗り袴」と言って洋服のズボンのように左右に脚が分かれているものが正式であるが、女性の袴と同じように分かれていないスカート状の「行燈袴」もある。厳密には袴にも夏用と冬用の区別はあるが、着物の袷のように裏を全体に付けることはないので地の薄さと密度によって区別されている。現在ではあまりこの別を意識することはなくなっている。

正装として黒羽二重五つ紋付を着る場合、本来であれば長着の下に女性の留袖と同じく「白の重ね」を着るのであるが、現在ではこの風習はあまり見られず花婿の衣装に「伊達衿」として白の衿をつけることに残っているのみである。

男性用の普段着の和服

男性用の普段着の和服には色無地浴衣作務衣甚平丹前・法被(はっぴ)などが含まれる。男性用の普段着の和服では、羽織は着なくてもよい。戦後ウールの着物の流行により、くだけた普段のくつろぎ着としてウールのアンサンブルが用いられるようになり、気軽な訪問には用いられるが本来であれば自宅用として着用するのが望ましいものである。

結婚式での新郎新婦の和服

江戸初期まで武家の男性は婚礼において直垂または大紋素襖を着用した。また商家の女性であれば本来は懐剣や角飾りは不要である。


注釈

  1. ^ 実際に日本の着物を欧米の女性が部屋着や化粧用ガウンとして使用することは19世紀頃から行われていた。
  2. ^ ただし必ずしもそうとは言えず、臣籍降下によって武士となった家系も多かった。あくまでも、戦場で命を落とす可能性があることを前提とした生活様式であったことから、武士の間で質素さを好む傾向が強まったと言える。
  3. ^ 現在、奈良時代の礼服は、「れいふく」ではなく「らいふく」と読む。
  4. ^ 奈良時代の朝会は現在の朝礼の意味ではない。
  5. ^ 1969年(昭和44年)まで、女子中学校生に浴衣長着)の縫い方を教えることが学習指導要領によって定められていた[26]

出典

  1. ^ 小池三枝『服飾の表情』勁草書房、1991年、52頁。ISBN 4-326-85118-X 
  2. ^ マーク・ピーターセン『続 日本人の英語』〈岩波新書〉1990年、28頁。ISBN 978-4004301394 
  3. ^ a b デジタル大辞泉”. 2018年9月26日閲覧。
  4. ^ a b 日本大百科全書(ニッポニカ)”. 2018年9月26日閲覧。
  5. ^ 世説故事苑(1716)”. 2018年9月26日閲覧。
  6. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 『日本大百科全書』(ニッポニカ)「服装」の記事の「服装の役割と発生について」の節。石山彰 執筆。
  7. ^ a b 徳井淑子『図説 ヨーロッパ服飾史』河出書房新社、2010年、4頁
  8. ^ 『図説日本庶民生活史1』 河合書房新社 1961年 p137-140
  9. ^ a b c d e 『小袖・小袖解説』 三一書房 1963年 p1-2
  10. ^ a b 『図説日本庶民生活史2』 河合書房新社 1961年 p130
  11. ^ a b 『図説日本庶民生活史2』 河合書房新社 1961年 p132
  12. ^ 『図説日本庶民生活史3』 河合書房新社 1961年 p124
  13. ^ 精選版 日本国語大辞典”. 2019年9月21日閲覧。
  14. ^ 『日本の美術341号町人の服飾』 至文堂 1994年 p28-29
  15. ^ 『服装の歴史2』 理論社 1956年 p28-29
  16. ^ 橋本 2005, p. 66.
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  18. ^ 歸去來兮 紐約複賽漢服飄逸宛如夢” (中国語) (2009年9月11日). 2017年12月5日閲覧。
  19. ^ 漢服のはなし”. 中国文化センター東京. 2017年12月6日閲覧。
  20. ^ 着物の歴史を簡単な年表に整理!庶民にはいつから?歴史を学ぶおすすめの本も紹介!”. 2022年1月4日閲覧。
  21. ^ 豆知識:着物の始まりと現代の着物”. 2022年1月4日閲覧。
  22. ^ きものの歴史”. 2022年1月4日閲覧。
  23. ^ 増田美子『日本衣服史』吉川弘文館、2010年、147-148頁。 
  24. ^ 深川江戸資料館
  25. ^ a b 彬子女王 2018, p. 11.
  26. ^ a b 小泉和子編『昭和のキモノ』河出書房新社〈らんぷの本〉、2006年5月30日。ISBN 9784309727523 
  27. ^ 彬子女王 2018, p. 18.
  28. ^ 彬子女王 2018, p. 18-19.
  29. ^ はれのひ」の教訓生きるか/着物業界、改革待ったなし◆レンタルなど競合増◆変わらぬ古い商習慣『日経MJ』2018年2月26日(大型小売り・ファッション面)
  30. ^ 【クローズアップ】サービス産業“生産性革命”日本経済全体底上げ『日刊工業新聞』2018年3月12日
  31. ^ 【ひと ゆめ みらい】デニムで着物を身近に/呉服店「田巻屋」社長・田巻雄太郎さん(45)=江東区『東京新聞』朝刊2018年4月23日(都心面)
  32. ^ 着物、気軽に着こなし/やまと、若者向けに洋服感覚/伸縮性や撥水性高める『日経MJ』2017年10月11日(大型小売り・ファッション面)
  33. ^ 海外縫製について ”. 株式会社プルミエール. 2020年11月24日閲覧。
  34. ^ 彬子女王 2018, p. 20.
  35. ^ 『中日新聞』2019年3月8日、朝刊27面
  36. ^ 田中敦子 編『主婦の友90年の智恵 きものの花咲くころ』主婦の友社 監修、主婦の友社、2006年、146頁。 
  37. ^ 男と女の婚礼衣裳の歴史と変遷を見る, BP net.
  38. ^ デジタル大辞泉日本大百科全書. “元禄袖”. コトバンク. 2019年4月14日閲覧。
  39. ^ 日本放送協会. “「和裁士」目指す専門学校の生徒たちが“針供養” 山形|NHK 山形県のニュース”. NHK NEWS WEB. 2024年2月23日閲覧。
  40. ^ きもの語辞典:着物にまつわる言葉を イラストと豆知識で小粋に読み解く 著者: 岡田知子、 木下着物研究所 p.91






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