同士討ち
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/02 22:43 UTC 版)
近戦における同士討ち
闇夜における奇襲時や濃霧[6] など周囲が視認しがたい状況下で同士討ちは起こりやすく、そのため、混戦を想定し、前もって合言葉を定めて対処する場合がある[7]。合言葉は、声が重要となる状況での接近戦闘を想定したもので、周囲が目視できる状況下では、家紋、紋章、現代では、国旗、軍旗・所属部隊のマークなどで、友軍かどうかを識別し、同士討ちを防ごうとする。
また、戦場ではなく、格闘技のタッグ戦でも起こる。例として、プロレスのタッグマッチ形式の試合・レスリング場においての同士討ちである。この場合は、相手方が朦朧とした状態で押さえ込まれていると油断して、突進してから攻撃を仕掛け、直後に避けられ、味方を攻撃するというもので、他にも、リングの両端から挟みこんで、中央にいる相手に向かって同時攻撃を仕掛け、避けられて同士討ちする場合もある(プロレスでは演技で同士討ちを誘う)。
包囲戦における同士討ち
慶長の役の際、秀吉が亡くなったことで撤退戦に入った日本軍とそれを追撃する明軍、それを防ぐ小西行長勢の船を、明軍船が結果として囲んだ際、鄧子龍(水軍副総兵)の船の帆柱を明の後陣船の石火矢が命中させて折ってしまったことが『土佐物語』巻第十八「太閤薨去 日本勢帰朝の事」に記述されている。この同士討ちが原因で小西勢に乗り込まれて、鄧子龍は討ち取られたと記す。
援護射における同士討ち
援護射撃・砲撃、援護空爆でも誤った情報下では同士討ちするケースはある(例として、硫黄島の戦い、ベトナム戦争、アフガニスタン紛争など)。
戦時下における新兵器の登場
航続距離が長い戦闘機などでは、戦時中に新型機が登場すると、敵軍の新型機と誤認されるケースが第二次世界大戦中にはあった(例、一式戦闘機、三式戦闘機)。 またP-47 (航空機)も当時のアメリカ陸軍機では唯一空冷エンジンを搭載しており、ほかの空冷エンジン搭載機はほぼドイツのフォッケウルフ Fw190だけだったヨーロッパ戦線において、同機と間違われ味方の対空砲火で誤射されることもあったという。空中戦で横から見るなら容易に区別できるが、真下から見るとそれほど「太い」という印象がなかったためである。
情報伝達の遅さ・不信用における同士討ち
厳密には、戦時下において急きょ同盟を組んだ場合、稀に局地で情報が遅れ、敵と誤認されるケース(橋の上で友軍がいるにもかかわらず、情報が届かず、爆破されるなども例の一)。また、戦後、同盟関係を構築したにもかかわらず、局地残存兵(残党)がそれを信じず、抵抗した場合。例として、旧日本軍の一部兵士(残留日本兵)が南方の諸島において、米軍に妨害活動(破壊活動や食料を奪うなど)をしたことなど。一兵が敵であると一方的に認知していても、実質上、国家間では戦後同盟にあるため、同士討ちといえるが、戦後でも射殺された場合、戦死扱いとなる(例として、小野田寛郎が所属した部隊員)。
- ^ 『吾妻鏡』における中世での表記。また、現代では余り用いられないが、『源平盛衰記』では、「友争い」とも記し、「友討(ともうち)」といった語も存在する(今でいう友軍相撃に近いニュアンス)。
- ^ 『平家物語』及び『承久記』の表記例。「どうし」ではなく、「どし」と読む。
- ^ 「英和/和英対訳最新軍事用語集」2007年
- ^ Marshall, S.L.A. (1947). Men Against Fire. University of Oklahoma Press. p. 193.
- ^ 弓を引けなくなるため、指切は片手でも十分な罰となった。
- ^ 例として、第二次大戦下における米軍のキスカ島上陸作戦。
- ^ 『日本書紀』壬申の乱(7世紀末)時、合言葉を定めて、奇襲に際して同士討ち(斬り合い)を防いだ記述がある。
- ^ 例として、2016年5月24日火曜に陸自然別演習場で、空砲訓練に実弾が配られ、負傷者が出る事態となっている。空砲と実弾は先端部の形状が違うため、本来は間違いにくいはずだが、空砲を請求した際、弾薬を管理する隊には実弾記入がなされていた。参考・朝日新聞 2016年5月25日水曜・5月27日金曜付、記事・横山蔵利。
- ^ ロシアンルーレットは、場合によっては、一つの拳銃を使用するに限らず、二丁用意して互いに向け合ったり、または、集団で複数の銃を用いて一斉に行う場合もあり、ルールによっては同士討ちとなる。
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