加賀国
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国内の施設
国府
国府は能美郡にあった。現在の石川県小松市古府町にあったと考えられている。
易林本の『節用集』では、「加賀郡に府」と記載がある。
国分寺・国分尼寺
国分僧寺は、承和8年(841年)、既にあった「勝興寺」(現 小松市)を国分寺に転用して設けられた。
尼寺は伝わっていない。
神社
地域
郡
人物
国司
加賀守
- 紀末成[1] - 823年(弘仁14年)12月 見
- 藤原良房 - 830年(天長7年)閏12月 任
- 藤原長良 - 834年(承和元年)正月 任
- 源明 - 838年(承和5年)正月 任
- 源寛 - 839年(承和6年)正月 任
- 源寛 - 842年(承和9年)9月 再任
- 源生 - 843年(承和10年)正月 任
- 藤原助 - 845年(承和12年)正月 任
- 藤原並藤 - 847年(承和14年)正月 任
- 正行王 - 850年(嘉祥3年)3月 見
- 藤原衛 - 851年(仁寿元年)10月 任
- 藤原衛 - 855年(斉衡2年)正月 再任 - 857年(天安元年)11月 卒
- 藤原仲統 - 857年(天安元年)12月 任 - 858年(天安2年)11月 罷
- 源啓 - 859年(貞観元年)正月 任
- 清原長田 - 860年(貞観2年)正月 任
- 藤原本雄 - 862年(貞観4年)2月 任
- 源能有 - 866年(貞観8年)正月 任 - 869年(貞観11年)2月 罷
- 藤原有実 - 869年(貞観11年)3月 任
- 朝野真吉 - 870年(貞観12年)正月 任
- 茂世王 - 874年(貞観16年)正月 見
- 多治藤善 - 880年(元慶4年)12月 見
- 大春日安永 - 886年(仁和2年)正月 任
- 平篤行 - 908年(延喜8年)正月 任 - 908年(延喜8年)2月 転
- 源頼房
- 藤原師高 - 1175年(安元元年)任官。
加賀介
守護
鎌倉幕府
室町幕府
- 1336年~1337年 - 富樫高家?
- 1355年~1357年 - 富樫氏春
- 1364年~1387年 - 富樫昌家
- 1387年~1390年 - 斯波義種
- 1391年~? - 斯波義重
- 1393年~1408年 - 斯波義種
- 1408年~1414年 - 斯波満種
- 1414年~1418年 - 富樫満成
- 1414年~1427年 - 富樫満春
- 1430年~1433年 - 富樫持春
- 1433年~1441年 - 富樫教家
- 1441年~1464年 - 富樫泰高
- 1447年~1458年 - 富樫成春
- 1458年~1466年 - 赤松政則
- 1464年~1488年 - 富樫政親
- 1489年~1531年 - 富樫稙泰
武家官位としての加賀守
- 前田綱紀 - 加賀加賀藩第5代藩主。
- 前田宗辰 - 加賀加賀藩第7代藩主。
- 前田重煕 - 加賀加賀藩第8代藩主。
- 前田重靖 - 加賀加賀藩第9代藩主。
- 前田重教 - 加賀加賀藩第10代藩主。
- 前田治脩 - 加賀加賀藩第11代藩主。
- 前田斉広 - 加賀加賀藩第12代藩主。
- 前田斉泰 - 加賀加賀藩第13代藩主。
- 前田慶寧 - 加賀加賀藩第14代藩主。
- 大久保忠朝 - 相模小田原藩初代(復帰後)藩主。老中。
- 大久保忠増 - 相模小田原藩第2代(復帰後)藩主。老中。
- 大久保忠方 - 相模小田原藩第3代(復帰後)藩主。
- 大久保忠由 - 相模小田原藩第5代(復帰後)藩主。
- 大久保忠顕 - 相模小田原藩第6代(復帰後)藩主。
- 大久保忠真 - 相模小田原藩第7代(復帰後)藩主。老中。
- 大久保忠愨 - 相模小田原藩第8代(復帰後)藩主。
- 大久保忠礼 - 相模小田原藩第9代(復帰後)藩主。
- 大久保忠良 - 相模小田原藩第10代(復帰後)藩主。
脚注
注釈
出典
- ^ a b c 『ふるさと石川歴史館』(2002年6月10日、北國新聞社発行)524頁。
- ^ 「加賀国」国史大辞典編集委員会『国史大辞典 第3巻 (か)』吉川弘文館、1983年2月。ISBN 4-642-00503-X。
- ^ 林陸朗「加賀立国の史的背景」、國學院大學文学部史学科編『坂本太郎博士頌寿記念日本史学論集』上巻、吉川弘文館、1983年、ISBN 4-642-01-019-X。
- ^ 石川県史. 第4編p16-17 近代デジタルライブラリー
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