京極高吉
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出典
- 結城了悟『キリシタンになった大名』聖母の騎士社、2004年。 ISBN 9784882161776 。
- 清水有子「京極高次・高知」『キリシタン大名 布教・政策・信仰の実相』宮帯出版社、2017年、305‐319頁。 ISBN 9784801600188 。
- 「十六・七世紀イエズス会日本報告集」第Ⅲ期6巻、同朋舎、1991年。ISBN 9784810409987。
- ^ a b 清水有子、2017年、305頁
- ^ 結城了悟、2004年、287頁
- ^ 「説教を聴いた者の中に、かつて近江国の国主であった貴人がいたからである。彼は領国を失ったとはいえ、信長の庇護の下にあって今や偉大な殿であり、当城下にあるもっとも立派な邸宅の一つを所有していた。京極(高吉)殿と称するこの貴人は夫人と共に説教をことを決心したが、デウスのことをたいそう好むので四十日間続けて説教に耳を傾けてこれをよく悟り、四十日の終りには二人とも洗礼を受けた。この貴人たちには十一、二歳の幼い子息が一人あって、この頃、他所で信長に仕えていた。父親は彼が帰った時に家族全員と共に洗礼を受けさせることに決めていたが、それより数日後、我らの主が父親を御許に召し給うたので、その望みは叶えられなかった。彼の死によってその子息ならびに家人は皆、依然として異教徒のままであり、父の死は神と仏の罰によるものと考えて非常に畏れた。」(「十六・七世紀イエズス会日本報告集」第Ⅲ期6巻、同朋舎、1991年、54-55頁。 1582年2月15日付、長崎発信、ガスパル・コエリュ師のイエズス会総長宛、(1581年度)日本年報)
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