井原西鶴
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井原 西鶴(いはら さいかく、寛永19年〈1642年〉[注釈 1] - 元禄6年8月10日〈1693年9月9日〉)は、江戸時代の大阪の浮世草子・人形浄瑠璃作者、俳諧師。別号は鶴永、二万翁、西鵬。
注釈
- ^ 没年と没年齢からの逆算。
- ^ 大坂難波生まれとされていたが、現在では西鶴文学会でも、西鶴の出自は紀州井原家であることが解明されている[要出典]
- ^ 『西鶴大矢数』(1681年)の自跋に「予俳諧正風初道に入て二十五年」とあり、これは『誹諧石車』(1691年)の「西鵬誹道に入て三十餘年の執行」とも矛盾しない。
- ^ 『誹諧石車』に「西鵬詞に、俳諧程の事なれども、我三十年点をいたせしに」とある。
- ^ 翌年出版された『誹諧大坂歳旦』の西鶴句の詞書に「法躰をして」とある。またその句につけた鶴爪の「自由にあそばせ誹諧は花」から、この時に西鶴が隠居したという考えもある[要出典]。
- ^ 「けんかずき」とよむ、つまり「喧嘩好き」
出典
- ^ 岡本勝, 雲英末雄編『新版近世文学研究事典』おうふう、2006年2月、30-31頁。
- ^ a b c d e f 岡本勝, 雲英末雄編『新版近世文学研究事典』おうふう、2006年2月、74-77頁。
- ^ a b c d e f g 中嶋隆編『21世紀日本文学ガイドブック4 井原西鶴』ひつじ書房、2012年5月、142-152頁。
- ^ 『浮世草子目録』(『新群書類従』第七)貞享三丙寅年「西鶴が超凡雄健の筆になりし好色本は、流行其極に達し、翁が最得意の全盛期なりしに、本年遂に好色本差止の令は當路の有司より下されぬ」
- ^ 『土橋宗静日記』
- ^ (竹内玄々一 1892, pp. 48–49) 27コマ
- ^ 上之巻 井原西鶴「近代戯作者の逸なる近松門左衛門は此門にいづるといひ伝ふ」
- ^ 江本 裕, 谷脇 理史 (編)『西鶴事典』おうふう、1996年12月5日、27頁。ISBN 9784273029180。
- ^ 青空文庫、また『梵雲庵雑話』に収録されている。
- ^ 島村抱月、淡島寒月、水谷不倒、徳田秋声「五人女合評」、『早稲田文学』明治39年12月号。
- ^ 田山花袋「西鶴について」 『インキツボ』(1909年(明治42年))所収
- ^ a b 『西鶴と西鶴本』(元々社、1955年)、『井原西鶴』(吉川弘文館、1958年)
- ^ 谷沢永一『執筆論』(東洋経済新報社、2006年)
- ^ 上阪彩香 , 村上征勝「西鶴作品の文章分析―先行研究の計量文献学的検証」『研究報告人文科学とコンピュータ(CH)』第2巻第2011号、情報処理学会、1999年4月、1-7頁。
- ^ “西鶴浮世草子の文章に関する数量的研究 ─遺稿集を中心とした著者の検討─-情報処理学会”. www.ipsj.or.jp. 2020年10月29日閲覧。
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