レイヴェン (プロレスラー) レイヴェン (プロレスラー)の概要

レイヴェン (プロレスラー)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/12 09:45 UTC 版)

レイヴェン
プロフィール
リングネーム レイヴェン
スコッティ・ザ・ボディ
スコッティ・フラミンゴ
スコット・アンソニー
ジョニー・ポロ
本名 スコット・レヴィー
身長 185cm
体重 111kg
誕生日 (1964-09-08) 1964年9月8日(59歳)
出身地 アメリカ合衆国
ペンシルベニア州
フィラデルフィア郡フィラデルフィア
トレーナー ラリー・シャープ
ザ・シーク
ジェイク・ロバーツ
デビュー 1988年
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来歴

ラリー・シャープが主宰するプロレスラー養成機関 "モンスター・ファクトリー" でトレーニングを積み、スコッティ・ザ・ボディScotty the Body)のリングネームで1988年にデビュー。太平洋岸北西部のPNWなどNWA系の団体に参戦した後、1990年8月に全日本プロレスに初来日。初戦の後楽園ホール大会ではリップ・モーガンと組んでジャイアント馬場&ラッシャー木村と対戦した[1]

1991年にはスコット・アンソニーScott Anthony)に改名してテキサス州ダラスのGWFに登場し、カクタス・ジャックマッカン・シンらとザ・カーテルThe Cartel)なるヒールユニットを結成[2]マイクパフォーマンスのスキルを活かし、スポークスマン的存在となって活躍した。

1992年からスコッティ・フラミンゴScotty Flamingo)のリングネームでWCWに所属。軽量級戦線で活動し、同年6月20日のPPV "Beach Blast 1992" にてブライアン・ピルマンからWCWライトヘビー級王座を奪取した[3]ダイヤモンド・ダラス・ペイジビニー・ベガスとのユニットであるベガス・コネクションThe Vegas Connection)の一員としても悪名を高めたが、新副社長ビル・ワットのブッキングに反発してWCWを離脱した[4]

WCW脱退後の1993年にはメンフィスUSWAに参戦して、ブライアン・クリストファーと組んで3月22日にザ・ムーンドッグススポット&スプラット)からUSWA世界タッグ王座を奪取[5]。その後、トークのうまさを買われ、調教師をキャラクターにしたジョニー・ポロJohnny Polo)を名乗り、同年5月よりマネージャーとしてWWFに登場。初期はアダム・ボム、後にザ・ケベッカーズ(ジャック・ルージョー&ピエール・カール・ウエレ)のマネージャーを務め、『マンデー・ナイト・ロウ』のアシスタント・プロデューサーやカラー・コメンテーターも担当していた[4]

2004年

しかし、選手としての活動を続けるべくWWFを離脱し、1995年からECWに参戦。グランジをモチーフとした虚無的なキャラクター、レイヴェンに変身する。スティービー・リチャーズブルー・ミーニーを子分に従えレイヴェンズ・ネストRaven's Nest)なるユニットを結成し、トミー・ドリーマーサンドマンといったライバルたちとのハードコア・レスリングでカルト的な人気を集め、ECWを象徴する選手の一人となった。ECWではハードコアの教祖と呼ばれるほどのカリスマ性を誇っていたが、サンドマンを十字架に括りつけるなどのパフォーマンスで非難を浴び謝罪したこともある(なお、この時にアマチュア時代のカート・アングルが会場に来ていたが、この演出に失望したため彼とECWとの契約は実現しなかった)。1997年に再びWCWに移籍し、ビリー・キッドマンなどを配下に新ユニットのザ・フロックThe Flock)を組織するが[4]1999年にECWに復帰した。同年11月23日には、横浜アリーナで行われたFMWの旗揚げ10周年記念大会に来日している[6]

2000年からは選手としてWWFと再契約。WWFでもハードコア戦線で活躍したが、団体から徐々にハードコア色が消えていくと共に活動の場も狭まり、またその特異なキャラクターは(他の多くのECW出身者と同じように)メジャー団体のリングでは活かしきれず、2003年WWEを解雇された。

WWE解雇後はTNAに所属し、ここでもハードコア路線を中心に活躍。2005年6月にはNWA世界ヘビー級王座も獲得したが、ジェフ・ジャレットの術中に嵌まり王座を奪われてしまう。それ以来ジャレットとの再戦を求めるもタイトル管理委員会を務めるラリー・ズビスコがこれを認めず、逆上してズビスコに喧嘩を売る。しかし2006年1月、そのズビスコが送り込んだ刺客のショーン・ウォルトマンと王座挑戦かTNA追放かを賭けた試合に敗れ、TNAを追放されてしまうが、同年のロックダウンで復帰。ズビスコ襲撃を目論んだが、ズビスコが連れて来たセキュリティーに阻まれて未遂に。しかし、ここからズビスコとの抗争を再開。決着戦の髪切りデスマッチでズビスコとの戦いを制し、ズビスコを丸坊主にしてウサを晴らした。

2011年

近年はアビスブラザー・ラントを相手に再びハードコアな抗争を繰り広げた後、カズ、マーティア、ヘイボックらを子分にセロトニンSerotonin)なる過激派ユニットを結成するが反応は芳しくなく、カズの反発・脱退を機にユニットは解散。再びシングルプレーヤーに転向するも、2008年初頭にTNAを退団。同年8月6日、金村キンタローが設立したXWFの旗揚げ興行に参戦[7]。久々の来日を果たし、スーパー・レザーフェイス&トレイシー・スマザーズと組んでの6人タッグマッチで金村&田中将斗&黒田哲広と対戦した[8]

インディー団体を転戦後、2009年4月から再びTNAへ参戦し、2010年7月よりミック・フォーリーロブ・ヴァン・ダム、トミー・ドリーマー、スティービー・リチャーズ、ライノチーム3Dアル・スノーらとTNA版ECWオリジナルズであるEV 2.0Extreme, Version 2.0)を結成した。しかし、11月にサブゥーがフレアーにより解雇され、その後まもなくレイヴェン自身も解雇された。

2012年からはインディー団体に戻り、ECWの本拠地だったフィラデルフィアExtreme Risingでは4月28日にゲーリー・ウルフと対戦。10月27日にはカナダナイアガラフォールズのBusted Knuckle Pro Wrestlingにおいてエディ・オズボーンを破ったが、11月11日のExtreme Risingでの興行ではスティービー・リチャーズに敗退した。

2013年ドイツオランダなどヨーロッパ遠征を経て、5月24日にはビリー・コーガンが主宰するResistance Pro Wrestlingに参戦し、ECW時代からの盟友ペリー・サターンとのタッグでブレディ・ピアース&マッドマン・ポンドから勝利を収めた。2014年ナイジェリア南アフリカにも遠征するなど、活動の場をさらに広げている。

得意技

レイヴェン・エフェクト
本人が最も尊敬するジェイク・ロバーツ直々に教えを受けたというDDTで、本家ロバーツと比較しても見劣りしない説得力がある。別名イーブンフローDDT。イーブンフローの名称は自身のギミックからグランジロックバンドパール・ジャムの同名曲に由来。
リーピング・ショルダーブロック
スコッティ・フラミンゴ時代のフィニッシュ技。
パイルドライバー
ロシアン・レッグ・スウィープ
主にフェンスや鉄柱などに向けて行う。
ドロップ・トーホールド
主に立てた椅子に向けて行う。
スリーパー・ホールド

  1. ^ The AJPW matches fought by Raven in 1990”. Wrestlingdata.com. 2021年2月2日閲覧。
  2. ^ Faction Profiles: The Cartel”. Online World of Wrestling. 2010年9月27日閲覧。
  3. ^ a b WCW World Light Heavyweight Title History”. Wrestling-Titles.com. 2010年9月27日閲覧。
  4. ^ a b c Raven”. SLAM! Wrestling: May 31, 2005. 2010年1月28日閲覧。
  5. ^ a b USWA World Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2023年6月15日閲覧。
  6. ^ FMW 10th Anniversary Show Entertainment Wrestling Special Live”. Cagematch.net. 2023年6月30日閲覧。
  7. ^ 金村キンタロー旗揚げ戦白星 / XWF”. 日刊スポーツ (2008年8月6日). 2023年6月30日閲覧。
  8. ^ XWF Give Me Hardcore Or Give Me Chair”. Cagematch.net. 2023年6月30日閲覧。


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