バブル時代 就職

バブル時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/05 14:44 UTC 版)

就職

就職売り手市場

民間企業が好景気を受けた好業績を糧に、更に営業規模を拡大したり経営多角化を行うために新卒者向けの募集人数を拡大し、学生の獲得競争が激しくなった。多く企業が学生の目を惹き付けることを目的にテレビで企業広告を行い、立派な企業パンフレットを作成・配布して学生の確保に走った他、青田買いの一環として、都市部の大学生が主宰するイベント系サークルやそれらが企画するイベントへの協賛を行った。

学生の確保に成功した企業が内定者を他社に取られないようにするため、研修等と称して国内旅行や海外旅行に連れ出し他社と連絡ができないような隔離状態に置く、いわゆる「隔離旅行」を行った[3]他、「内定を辞退した学生に人事担当者が暴行した」というような都市伝説まで囁かれるようになった(都市伝説一覧を参照)。

これらの背景には急激な経済膨張・業務拡大のため、夜中2時過ぎまでの残業や月に1~2日程度しか休みが取れないといった事態がざらになるなどの深刻な人手不足があり、早急に人員を確保することが急務だった。体育会系の学生は我慢強く体力があり、上下関係による人脈で後輩学生を入社させやすいというので企業からは人気があった。特に証券等は、現場が人手不足だったので、OBを通じて学生に食事を振る舞うなどしてまで入社させた。

ただし注意を要するのは、この時代には全ての大学生が誰しも一流企業への就職が楽であったわけではなく、就職人気上位30社程度の一流企業に限定すると「指定校制度」の存在と短期大学を含め大学進学率が同世代の3割程度であったことに留意する必要がある。すなわち恩恵を得たのは主に大都市圏の国立・上位私立大学である。したがって一流企業は満遍なくあらゆる大学からの採用を増加させたのではなく、バブル景気以前より長年にわたって存在していた指定校に在学する学生の採用を大幅に増加させたことがこの時期の売り手市場の傾向である。その意味でインターネット等でのエントリー制度が主流となった現在のほうが、従来の指定校漏れ大学からの一流企業就職にも少ないながら可能性が出てきたともいえる。もっとも当時の指定校制度に漏れていた首都圏の一般的な私立大学、及び地方の大学に所属する学生も業界2-4番手の大企業に就職できたことから、当時の方が総じて就職活動は容易であった。

有効求人倍率は、1991年に1.40倍を記録。リクルートの調査では、同年の大卒最高値は2.86倍になった[4]。この時代に大量に採用された社員を指してバブル就職世代とも言われる。社内では同世代の人数が多く、社内での競争が激しくなり、一方で、就職直後にバブル崩壊を受けて業務が削減され、それぞれの社員が切磋琢磨する機会も減った。また、以後の採用が長年に亘って細ったことから「後輩」「部下」が居らず、長く現場の最前線に立たされ昇進もままならない者も多かった。

民間企業の業績・給与がうなぎ上りだったことに比べ、景気の動向に左右されにくい公務員はバブル景気の恩恵をさほどには受けなかった。このため「公務員の給料は安い、良くて平均的」といった風評が大学生の間で蔓延して、「公務員はバカがなるもの」と見下されがちだった。とりわけ地方公共団体には優秀な新卒が集まりにくく、各団体は公務員の堅実性のPRを積極的に行った。

文系就職

農林水産業や製造業などの分野と比較して、銀行や証券といった金融分野が大幅に収益を伸ばし、これらの業界は、さらに高度な金融商品の開発に充てる人材の確保を意図して、理系の学生の獲得に動いた。また、バブル景気の浮かれた雰囲気の中で、電通やサントリー、カネボウフジテレビなどの、広告出稿量の多い、もしくはマスコミ広告代理店、外資系企業などの華やかなイメージの企業の人気も高まり、文系学生のみならず理系の学生もがこれらの企業に殺到した。

好業績で注目を浴び高い給料を提示する金融業や華やかな業界への就職希望が増えたのに対し、製造業では学生の確保に苦労することになった。理系の学生が、産業界以外の分野、殊に金融業やサービス業へ就職することを指して文系就職とも言われた。これに対応するため多くの製造業が初任給を引き上げる動きに出たが、場合によっては既に在籍している社員よりも高い俸給が提示されることもあり、不公平であるとの批判も起こった。


  1. ^ 日本経済新聞社編 『検証バブル 犯意なき過ち』 日本経済新聞社〈日経ビジネス人文庫〉、2001年、78頁。
  2. ^ 日本経済新聞社編 『検証バブル 犯意なき過ち』 日本経済新聞社〈日経ビジネス人文庫〉、2001年、148頁。
  3. ^ 携帯電話は当時高価格なこともあって殆ど普及しておらず、まともな収入がない学生が手にすることは不可能であった。
  4. ^ 当時は大学生だけでなく高校生もバブル景気の影響を受けて就職は容易であり、高校新卒者の求人倍率は1992年に3.34倍と高度経済成長期に次ぐ高い値を記録している。
  5. ^ 小峰隆夫 『ビジュアル 日本経済の基本』 日本経済新聞社・第4版〈日経文庫ビジュアル〉、2010年、56頁。
  6. ^ 田中秀臣『日本経済復活が引き起こすAKB48の終焉』主婦の友社、2013年、91頁。ISBN 978-4-07-289414-9 
  7. ^ アベノミクスに要注意! バブル時代の貧乏人の扱いがヒドすぎる!ダ・ヴィンチニュース 2013年5月17日
  8. ^ 1986年に遺書を残して生徒が自殺した中野富士見中学いじめ自殺事件が起きた。葬式ごっこを行い教師3人も色紙に寄せ書きしていたことから、メディアが注目した最初のいじめ自殺事件になった。
  9. ^ 『「まじめ」の崩壊―平成日本の若者たち』(サイマル出版会、1991年)Template:Date=2014年4月。
  10. ^ TM NETWORK小室哲哉がプロデュースしたヤマハ・EOSシリーズプリンセス・プリンセス今野登茂子がCMキャラクターを務めたD-5など。
  11. ^ 小田急HiSE・RSEに代表されるハイデッカー構造が流行した。
  12. ^ ただしジュリアナ東京が開店したのは1991年5月であり、すでにバブル崩壊が始まっていた時期にあたる。バブル時代を象徴するディスコは1989年11月オープンの芝浦ゴールドと、その頃の高級ディスコブームを牽引していたマハラジャだった。
  13. ^ 伊藤修 『日本の経済-歴史・現状・論点』 中央公論新社〈中公新書〉、2007年、123頁。
  14. ^ 日本経済新聞社編 『検証バブル 犯意なき過ち』 日本経済新聞社〈日経ビジネス人文庫〉、2001年、70頁。
  15. ^ 『フェラーリを1000台売った男』榎本修・著 清水草一・編 ロコモーションパブリッシング刊
  16. ^ 辻井喬、上野千鶴子『ポスト消費社会のゆくえ』文春新書、文藝春秋、2008年 ISBN 9784166606337
  17. ^ プラザ合意と円高、バブル景気 財務省広報誌「ファイナンス」2011年10月[リンク切れ]
  18. ^ バブル景気の痕跡をたどる週刊朝日連載。ジュリアナ東京ボジョレ・ヌーボーアッシーくんゴルフ会員権地上げ1億円ふるさと創生交付金チバリーヒルズボディコン私をスキーに連れてって企業メセナ宮崎シーガイア、「ゴッホのひまわり」、CIブームE電ハウステンボステーマパークホンダ・NSX地方博ブームエンパイア・ステート・ビルディングロックフェラーセンター買収など、ティファニーを贈るのやクリスマスはカップルですごすものとかこの時期に限定メニューがある、という習慣もこの頃始まったのが分かる。





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