ハザール 政治

ハザール

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/06 06:24 UTC 版)

政治

当初はカガンアラビア語الخاقان al-Khāqān ハーカーン、漢語:可汗)が権力の頂点にあったが、次第にその地位は名目的なものになった。そのため、宗教的権威を有するカガンと、事実上の支配をおこなうベクやシャドが並び立つ統治体制へと移行した(二重王権制)[9]。10世紀の東ローマ皇帝コンスタンティノス7世は『帝国統治論』のなかでハザールの内乱にふれているが、その内乱は明らかにカガンとベクのそれぞれの関係者間の戦闘であった。この年代を833年から843年の間とすれば、ハザールのカガンは内乱によって843年までに実質的な権力を奪われ、名目的存在となったと思われる。ただし、聖者伝の『コンスタンティノス伝』によると、コンスタンティノスがハザールを訪れた860年頃ではカガンがまだ最高権力者であるかのように描かれている。しかしながら、ハザール・カガン国においてカガンの権威が時代と共に限定されてゆき、ベクが権力を掌握していったことは確かである[10]

支配者層は、多くの遊牧国家と同様季節移動する豪華なテント群を宮廷とし、夏の間は草原地帯での生活を送り、冬は都イティルの周辺などで過ごした。

経済

9世紀以降ノルマン人の活動が盛んになり、バルト海からカスピ海北岸にかけて交易活動(ヴォルガ交易路英語版)で活躍した。当時のカスピ海は、イスラム側からは「ハザルの海」(アラビア語 بحر الخزر baḥr al-Khazarペルシア語 درياى خزر daryā-yi Khazar)と称されていた。ノルマン人は北欧ロシアから毛皮奴隷などをもたらした。ハザルは、魚のゼラチンを輸出した。その他、ユダヤ商人、ムスリム商人など様々な商人が訪れたことで、各地の商業ネットワークが結びついていた。南のカスピ海や黒海から、北のバルト海や北欧へと、ヴォルガ川やドニエプル川ネヴァ川ダウガヴァ川で結ぶ内陸水路による交易路を、「ヴァリャーギからギリシャへの道」と呼ぶ。

宗教

ハザールの元来の宗教は多神教アニミズムであり、テングル・カガン(天帝)が最も重要視された。しかしながら遊牧民の特徴として他の宗教には寛容であるため、イスラム教キリスト教ユダヤ教なども信仰された[11]

9世紀に支配者層はユダヤ教に改宗し、一部の一般住民もそれに続いた。断定はできないがその理由として、東に位置するイスラームアッバース朝と、西に位置する正教会東ローマ帝国の双方から等距離を図るための選択という説がある[12]


注釈

  1. ^ Harkabi 1987, p. 424によると、"Arab anti-Semitism might have been expected to be free from the idea of racial odium, since Jews and Arabs are both regarded by race theory as Semites, but the odium is directed, not against the Semitic race, but against the Jews as a historical group. The main idea is that the Jews, racially, are a mongrel community, most of them being not Semites, but of Khazar and European origin."

出典

  1. ^ 高崎通浩 1997, p. 163.
  2. ^ 護雅夫 & 岡田英弘 1990, p. 156.
  3. ^ a b c d 護雅夫 & 岡田英弘 1990, p. 157.
  4. ^ 護雅夫 & 岡田英弘 1990, p. 158.
  5. ^ 護雅夫 & 岡田英弘 1990, pp. 159–160.
  6. ^ 護雅夫 & 岡田英弘 1990, p. 160.
  7. ^ 護雅夫 & 岡田英弘 1990, pp. 166–169.
  8. ^ a b 護雅夫 & 岡田英弘 1990, p. 169.
  9. ^ 小松久男 2005, p. 81.
  10. ^ 護雅夫 & 岡田英弘 1990, p. 164.
  11. ^ 護雅夫 & 岡田英弘 1990, pp. 163–165.
  12. ^ 小松久男 2005, p. 82.
  13. ^ a b Lewis 1999, p. 48.
  14. ^ Johnson's Russia List #5425 - September 4, 2001 - ウェイバックマシン(2011年8月29日アーカイブ分)
  15. ^ Sand 2009, pp. 218–250.
  16. ^ Segev, Tom (2008年2月29日). “An invention called 'the Jewish people'”. Haaretz. 2023年7月1日閲覧。
  17. ^ Sand 2009, p. 235.
  18. ^ Schama, Simon (2009年11月13日). “The Invention of the Jewish People”. Financial Times. 2009年12月29日閲覧。
  19. ^ Shapira 2009.
  20. ^ Hammer et al. 2000.
  21. ^ Nicholas Wade (May 9 2000). “Y Chromosome Bears Witness to Story of the Jewish Diaspora”. New York Times. http://query.nytimes.com/gst/fullpage.html?res=9D02E0D71338F93AA35756C0A9669C8B63. 
  22. ^ Nebel et al. 2001.
  23. ^ Behar et al. 2003.
  24. ^ Nebel et al. 2005.
  25. ^ Atzmon et al. 2010.
  26. ^ ISBN 978-089357241-9
  27. ^ Wexler's Bombshells - Part 1 (Forward, June 4, 1993) - ウェイバックマシン(2016年6月23日アーカイブ分)
  28. ^ Wexler's Conversions - Part 2 (Forward, June 11, 1993) - ウェイバックマシン(2016年6月23日アーカイブ分)
  29. ^ Wexler's Conversions - Part 3 (Forward, June 18, 1993) - ウェイバックマシン(2018年8月17日アーカイブ分)
  30. ^ Wexler's Conversions - Part 4 (Forward, June 25, 1993) - ウェイバックマシン(2016年6月23日アーカイブ分)
  31. ^ Vocal Minority (Forward, November 22, 1996) - ウェイバックマシン(2016年3月5日アーカイブ分)
  32. ^ The Case of Ladino (Forward, November 29, 1996) - ウェイバックマシン(2016年3月4日アーカイブ分)
  33. ^ Redrawing the Yiddish Map, Forward, December 6, 1996 - ウェイバックマシン(2016年6月23日アーカイブ分)





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