ドキュメント太平洋戦争 備考

ドキュメント太平洋戦争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/13 06:24 UTC 版)

備考

  • 第1集では、戦時中の民間輸送船舶の膨大な航行記録をコンピュータグラフィックス化し、日本本土と占領地域との海運状況を1日単位で表示。1943年(昭和18年)以降、アメリカ軍の通商破壊によって、見る見るうちに船の輸送量が減り、兵站が激減する様子がリアルに描かれている。またアメリカ軍が100隻以上の護衛空母や膨大な護衛艦艇を投入してきたのに対して、大日本帝国海軍が護衛艦艇(海防艦)を1942年(昭和17年)末の時点で僅か10隻前後しか保有していなかった事なども紹介。千葉市美浜区に保存されていた海防艦志賀(1998年解体)や、ベトナム沖の南シナ海に沈むヒ86船団の映像も登場している。
  • 第3集では日本側の兵器として、軽防御・強度不足でヘルキャット戦闘機などの一撃離脱戦法に苦戦したゼロ戦や、精度が悪く敵編隊が目視出来る距離まで近づかないと探知出来ないレーダー電波探信儀)を取りあげている。ま零戦への防弾装備が将来的に必要とする報告もある一方で、軍令部・技術廠・開発者が、攻撃を優先させる考えとの葛藤の中にあった零戦の欠陥と、それに続く結果を紹介。
  • 第4集でおこなわれた、インドとの国境地域のミャンマー領内(インパール作戦の戦場があった)での取材撮影は、世界放送局としては初めて実現したものであった。また、ミャンマーでの収録時に、現地で保管されていた一式戦闘機の残骸と搭乗員の遺骨に遭遇し、放送終了後に、遺骨の身元が判明し遺族への返還が実現したことが、関連書籍の文庫版や再放送の解説にて紹介されている。
  • 第6集では、当時モスクワに赴任していた佐藤尚武駐ソ特命全権大使の日誌を紹介。ナチス・ドイツの劣勢やソ連側の不穏な動き等に危険を感じて、再三にわたり報告し警告を発するものの、東京から外務省の返電は、国際情勢を理解しない的外れな訓令に終始し、それを嘆く様子などが描かれている。また既に大日本帝国の外交暗号がパープル暗号により解読され、内容が連合国側に筒抜けになっており、帝国政府・大本営の現実感覚に欠ける様子を「幻想」と表現するアメリカ側文書も紹介されている。このほか、ソビエト連邦の崩壊に伴ってロシア連邦から情報公開されたばかりの旧ソ連の外交文書から、ソビエト社会主義共和国連邦が1944年(昭和19年)の段階から、終戦後の対応を検討していたことも明らかにされた。



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