キュロス2世
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/10 08:30 UTC 版)
後世の評価
ユダヤ人をバビロン捕囚から解放したことで、聖書や哲学者クセノポンの著作(『キュロスの教育』)において高く評価され、キュロスは理想的な君主として東西洋問わずイメージ付けされるようになった。近代に入ると、パフラヴィー朝の皇帝モハンマド・レザー・パフラヴィーはイラン人の民族意識を高揚させる政策を取り、キュロスはペルシア帝国の建国者として賞揚された。キュロスの円筒印章が「世界史上最古の人権宣言」としてさかんに喧伝された。1971年にはキュロスのアケメネス朝建国2500年を記念するという名目でペルセポリスで盛大なイラン建国二千五百年祭典を開催し、パサルガダエのキュロス大王陵にて国王の演説が行われた。またこの時にイラン暦の紀元がキュロス即位時(紀元前559年)に変更されてイラン皇帝暦と名を変え、ヒジュラ暦に代わって国家の公式な暦となった。なお、この暦が正式に施行されたのは翌1976年(皇帝暦2535年)であった[6]。しかしわずか3年後の1979年にイラン革命が起こり、パフラヴィー朝王政の崩壊に伴ってイラン皇帝暦も廃止された。
近年ではイラン民族主義の高揚に伴い、キュロス大王の人気や知名度がイラン人の間で高まるようになり、キュロスがバビロニア軍を撃ち破って古代オリエントを一統したイラン暦の8月7日(グレゴリオ暦10月29日)をイラン民族主義の記念日(キュロス大王の日)にしょうとする動きが盛んになっている。イスラム神権政治を掲げるイラン当局はこうした動きを警戒している。
考古資料
- キュロスの伝記
- キュロスの伝記には、クセノポンによる「キュロスの教育」がある。
- タナハ・旧約聖書
- タナハの諸書、旧約聖書の『ダニエル書』などに登場する。
- コーラン
- コーランにも登場する(en:Cyrus the Great in the Quran)。
- 賢人シュンティパスの書
- 「パンチャタントラ」「アラビアンナイト」と並ぶ、西アジアまたはインド起源とされる枠物語『シンドバードの書』の中世ギリシア語訳。枠物語に登場する王の名がキューロスである。1080年に東ローマ帝国のアンドレオポーロス(ギリシア語: Μιχαήλ Ανδρεόπουλος 、英語: Michael Andreopoulos)によってシリア語版からギリシア語に翻訳された。
- キュロスの円筒印章
- 大英博物館にはキュロスの円筒印章が所蔵されている。これによれば、キュロスは、紀元前6世紀半ばにメディア、リディア、新バビロニアを滅ぼし、メソポタミアを統一した。この円筒印章には諸民族を解放し、弾圧や圧政を廃し、寛容な支配を推し進めた様が描かれており、人類初の人権宣言とも称される[7]。
- ナボニドゥス年代誌、ナボニドゥスの円筒形碑文
- 新バビロニア帝国の最後の王である、ナボニドゥスの治世を扱っている『ナボニドゥス年代誌』にはエラムの滅亡やバビロン占領後のキュロスの行動が記されている。この他、同時期のものであるナボニドゥスの円筒形碑文においてもキュロスの治世が賞賛された文が記載されており、キュロスの円筒印章を含むこの3つの史料はプロパガンダ的なものであると考えられている[3]。
脚注
- ^ パサルガダエの碑文(画像)より。
- ^ (Dandamaev 1989, p. 71)
- ^ a b トマス・ハリソン 著、本村凌二 監修、藤井留美 訳『世界の古代帝国歴史図鑑 大国の覇権と人々の暮らし』柊風舎〈第1刷〉、2011年10月20日、104頁。ISBN 978-4903530536
- ^ 笈川 (2010), p. 70.
- ^ 笈川 (2010), p. 72-73.
- ^ 柳谷あゆみ (2012年12月20日). “イスラーム地域研究資料参考”. 東洋文庫研究部 イスラーム地域研究資料室. 東洋文庫. 2016年9月28日閲覧。
- ^ 追憶のペルシャ - ナショナルジオグラフィック 2008年8月号
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