ガングート級戦艦 艦形

ガングート級戦艦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/12 02:57 UTC 版)

艦形

「セバストーポリ」の艦首構造。鋭角な形状の砕氷型艦首が判る写真。
竣工時の「セバストーポリ」

本級の船体形状は前述の通りに平甲板型船体で、本級から艦首に衝角(ラム)を装備するのを廃止し、替わりに砕氷型艦首形状となった。艦首甲板上に新設計の「1907年型 30.5cm(52口径)砲」を三連装砲塔に収め1基、司令塔を組み込んだ露天式の艦橋、単脚式の前部マスト、2本煙突の間に後ろ向きの2番主砲塔を1基配置。2番煙突の背後に前向きの3番主砲塔を1基配置した。3番主砲塔と後部マストの間には艦載艇が並べられ、舷側に設けられたクレーンが片舷1基計2基で運用された。後部甲板上に後部見張り所を基部に立つ単脚式の後部マストがあり、後部マストを挟んで艦尾側に後ろ向きの4番主砲塔1基が配置された。

副砲として12cm単装砲が舷側ケースメイト(砲郭)配置で各主砲塔の舷側部の四か所に張りだし(スポンソン)を設けて1か所あたり2基ずつ配置され、片舷8基計16基が配置された。この時代の大型艦には対艦攻撃用の魚雷発射管が装備されており、本級にも45.7cm魚雷発射管が水線下に4門が設けてあった。艦尾の水線下には楕円形の舵が前後に計2枚あり、主舵と副舵が首尾線上に直列に並ぶという同時期のドイツ帝国海軍の巡洋戦艦にも見られる舵配置方式を採用していた。これは艦尾の幅が狭いために2枚の舵を並列配置することができなかったためである。この武装配置により艦首・艦尾方向に最大で30.5cm砲3門・12cm砲4門、舷側方向に最大で30.5cm砲12門・12cm砲8門・45.7cm魚雷発射管2門が指向できた。

就役後の近代化改装

写真は第一次近代化改装後の「セバストーポリ」。クリッパー・バウ化した艦首形状とやや後方に湾曲化された1番煙突に注意。

就役後の1916年から1917年にかけて近接火器の4.7cm機砲4基を撤去し、「ガングート」「ペトロバブロフスク」は「6.5cm(38口径)高角砲」を単装砲架で2基を搭載した。「セバストーポリ」「ポルタヴァ」は「カネー 7.5cm(50口径)高角砲」を単装砲架で2基、イギリス製の「ヴィッカース 4cm(39口径)ポンポン砲」を単装砲架で1基と異なる武装を搭載したが、これらはロシア革命を経て成立したソビエト連邦時代の1920年代に「1914年型 7.6cm(30口径)高角砲」に更新、単装砲架で1番・4番主砲塔に3基ずつ計6基を搭載した。

このうち「セバストーポリ」のみ1928年10月から1929年5月にかけての改装で艦首形状を波切の良いクリッパー型艦首に改めて全長は184.9mと長くなった。この時に煤煙の逆流を防ぐために艦橋後部の1番煙突を延長し、先端を斜め後部に向けて湾曲させた。1930年に「セバストーポリ」は3番主砲塔上にハインケル式旋回型カタパルトを設置して水上機1機を運用した。

写真は第二次近代化改装後の「ガングート」(1934年)。多層化した前後の構造物に注意。

3隻が艦容を一変させるのは1920年代後半から1930年代後半にかけて行われた第二次近代化改装の時であった。 まず「マラート(旧ペトロパブロフスク)」が1928年から1931年5月にかけて行われ、続いて「オクチャブルスカヤ・レボルチャ(旧ガングート)」が1931年9月から1934年8月に、最後に「パリジスカヤ・コンムナ(旧セバストーポリ)」が1933年11月から1938年1月に実施された。

改装の外観上の変更点では、「セバストーポリ」での運用実績により、艦首形状は前方に強く傾斜したクリッパー・バウに改めて外洋航行時の凌波性を高めると共に、艦首から1番主砲塔基部まで甲板を一段分かさ上げして軽くシア(傾斜)が付けて凌波性を改善した。この時に錨鎖穴の位置を既存のものを使用したため、奇妙な外見となった。なお、「セバストーポリ」のみ水線下にバルジを追加したために艦幅が5.4m広くなった。

写真は第二次近代化改装後の「マラート」時代のペトロパブロフスク。本艦のみ前後の艦橋構造は他2隻より簡略化された設計だった。

簡素な露天式の艦橋構造は、円柱状のマストを組み込んだ二階建ての半密閉型艦橋に改装された。他国の旧式戦艦の改装でも艦橋構造の大型化はなされたが、本級は甲板上を主砲塔4基に占められていたため、艦橋スペースを増やすには上へ上へと多層化せざるを得ず、日本海軍超弩級戦艦に用いられたパゴダ・マストの如き形状を呈することになった。頂上部には新開発の測距儀と射撃方位盤が設置された。艦橋の背後の1番煙突は、煤煙の逆流を防ぐために斜め45度後方に延長された。艦橋と湾曲煙突の隙間は無駄にせず見張り所が設けられた。

武装面においては主砲塔が改造されて仰角が40度に引き上げられて遠距離砲戦に対応できるようになり、対空装備として「7.62cm(55口径)高角砲」を防盾を被せた単装砲架で主砲塔天蓋上に3基ずつ計6基配置した。

第1煙突から、後部の2番主砲塔・第2煙突・前向きの3番主砲塔までの武装配置は竣工時と大差ないが、3番主砲塔の後部に設けられた艦載艇置き場を廃止し、その位置に後部マストと後部艦橋を新設した。艦載艇は後部艦橋の左右の舷側甲板上に積まれ、一部は3番主砲塔の上に並べられた。その運用は後部マストを基部とするクレーンが片舷1基ずつ計2基で運用された。この改装で満載排水量は26,000トン台にまで増大した。

艦名 基準排水量 満載排水量 全長 全幅 吃水
ガングート
オクチャブルスカヤ・レボルチャ
24234トン 26692トン 184.9m 26.9m 9.5m
ペトロパヴロフスク
マラート
24,230トン 26,700トン 184.9m 26.9m 9.5m
セバストーポリ
パリジスカヤ・コンムナ
23,016トン 184.9m 26.9m 9.5m

第二次世界大戦時の1941年に航空兵装は全て撤去された。独ソ戦初期の1941年9月、ドイツ軍の攻撃により艦首が断裂した「マラート」は10月31日に応急処置が完了した。これにより全長は127mまで短くなり、排水量は約19,500トンとなり、乗員数は350名に減少した。

1944年に「セバストーポリ」はイギリス製の281型レーダーを装備し、その後290型/291型対空レーダーを装備していた。これと前後して「ガングート」も前後のマスト上に281型レーダー、285レーダー、SGレーダーを装備した。


  1. ^ ジェーン海軍年鑑に「1942年にガングートの旧名に復された」と言う誤記が記載されており、日本国内ではこのジェーン年鑑の誤記が長期間に渡って引用され続け、旧名復帰がなされたと多くの書籍に記されていた。






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