イースター島
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/29 01:07 UTC 版)
地理
チリの首都であるサンティアゴから西へ3,700km、タヒチから東へ4,000kmほどの太平洋上に位置し、ペルー海流が周辺海域は渦巻き、近海は海産資源豊富な漁場であり、とくにカタクチイワシが多く捕れる。全周は60km、面積は180km2ほどであり、北海道利尻島とほぼ同じ大きさである。島全体が、ラパ・ヌイ国立公園としてチリ政府により国立公園に登録されている。また1995年に世界遺産に登録されている[16]。
最も近いサラ・イ・ゴメス島でも東北東に415km離れている絶海の孤島であり、人の住む最も近い島であるピトケアン島までは約2,000kmの距離がある[注釈 2]。
やや乾燥した気候で年間降雨量は1,250mmと少ないものの、バナナ、サトウキビなどの栽培には十分である。一方、河川がないため灌漑用水の確保はしにくく、タロイモ栽培などには適していない。
地質
マグマの噴出によって造られた小さな火山島であり、上空から見ると三角形をした島の各頂点には、カウ山、カティキ山、テレバカ山の3つの火山がある。テレバカ山(海抜507m、海底からは約2,000mの高さがある)が島の大部分を占め、他の2つの他に多数の噴火口や火口湖がある。ガラパゴス諸島やハワイ諸島と同じ玄武岩で鉄分が多く75万年前に形成され、最新の噴火は約10万年前とされるが、20世紀前半に水蒸気の噴出が記録されている。
交通
島内
島の人口は約4000人。島内にはチリ海軍が駐留し、数か月に1度は物資とともに海兵隊もやって来る。
鉄道は敷設されていないが、主要道路については舗装されており、島内の主な交通手段としては、乗り合いバスもしくはタクシーが、主な公共交通手段として、島民や観光客に利用されている。観光客には、レンタカー、レンタルバイクも利用されることが多い。
島内には、レストラン、ホテル、ディスコ、ガソリンスタンド、ビデオレンタルショップ、学校、病院、博物館、郵便局、放送局(テレビ局3局、ラジオ局1局)等の施設が整っており、島の暮らしは至って現代的である。
島外
LATAM チリが、マタベリ国際空港とサンティアゴ、リマ、タヒチのパペーテとの間に定期便を運航している。近隣諸島との間には貨客船も運航されている。
なお、マタベリ国際空港の滑走路は、島の規模には不釣合いな3,300mと長大なものであるが、これはかつてNASAがスペースシャトルをヴァンデンバーグ空軍基地から打ち上げる計画を持っていたため、その際の緊急着陸場 (TAL sites) のひとつとして整備されたものである。チャレンジャー号爆発事故によってこの計画も中止されたため、緊急着陸地のリストから外された。
文化
文字
住民はロンゴロンゴと呼ばれる絵文字を持っていた。この絵文字は古代文字によく見られる牛耕式と呼ばれる方法で書かれ、1行目を読み終えると逆さにして2行目を読むというように、偶数行の絵文字が逆さになっている。板や石に書かれ、かつては木材に刻まれたものが多数存在したようである。
この文字は伝統的に支配者家族や神官に伝えられていたが、1862年のペルー人の襲撃による奴隷化と後続した疫病を通じてこれらの識字層が全滅してしまい[17][18]、それ以降は内容を判読できない島民たちによって薪や釣り糸のリールなどにされ多数の文字資料が失われたという。そのため僅か26点しか現存せずそれらは全て島外に持ち出されて各国の博物館などに収蔵されている。 また、現在のラパ・ヌイ人はフランス人の奴隷狩りによりタヒチに連れ去られ、その後に戻ってきた人々の子孫であり現行のラパ・ヌイ語はタヒチ語の影響を強く受けた言語である。古代ラパ・ヌイ語についてはヨーロッパ人による僅かな記録をたどるほかは、現行のラパ・ヌイ語から復元する以外知る手立てはない。したがって解読は難しいとされている。
祭り
タパティ・ラパ・ヌイ(スペイン語名:Tapati es una fiesta)は、バナナの木に登り、丘を滑り降りる祭りである。祭りは毎年行われ、開催期間は2週間にわたる。
- ^ 「土地」「大地」を意味するラパ・ヌイ語のrapaは、同じオーストロネシア語族のタガログ語のlupaとほぼ同じ意味になる。
- ^ ギネスブックに記載されている「人が住んでいる世界一孤立している島 (the most isolated inhabited island in the world) 」はトリスタン・ダ・クーニャ島 (Tristan da Cunha) である
- ^ “Currently Governor” (Spanish). Gobernación Provincial Isla de Pascua. 2016年12月11日閲覧。
- ^ a b “Censo de Población y Vivienda 2002”. National Statistics Institute. 2010年5月1日閲覧。
- ^ “COMUNAS: POBLACIÓN ESTIMADA AL 30 DE JUNIO POR SEXO Y EDAD SIMPLE 2002–2020. BASE DE DATOS” (Spanish). National Statistics Institute. 2016年10月8日閲覧。
- ^ a b c d Hunt 2006.
- ^ Late Colonization of Easter IslandTerry L. Hunt1, Carl P. Lipo 2006
- ^ a b c d e f g h Diamond 2005.
- ^ a b 野嶋 2010, p. 249.
- ^ “謎の巨石文化、イースター島のモアイ像を作った人々のルーツ”. Forbes. (2017年11月25日) 2019年10月12日閲覧。
- ^ a b c d e “「モアイは歩いた」、イースター島の伝承と文明崩壊の謎【古代文明、謎の魅力】”. ナショナルジオグラフィック (Yahoo!ニュース). (2020年11月15日) 2020年11月15日閲覧。
- ^ “イースター島の文明は、通説のようには「崩壊」しなかった:論文が提起した新説が波紋”. WIRED. (2020年6月10日) 2020年11月20日閲覧。
- ^ a b “イースター島、人殺しの武器を作らなかったと新説”. ナショナルジオグラフィック. (2016年2月25日) 2017年3月11日閲覧。
- ^ “モアイ像、ロープで揺らして移動?”. ナショナルジオグラフィック. (2012年6月25日) 2020年11月21日閲覧。
- ^ “外交史料 Q&A 昭和戦前期”. 2013年3月5日閲覧。
- ^ “NHK NEWS WEB 『イースター島が日本に? 外交“公”文書が歴史を作る』4月26日”. NHK. 2020年1月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年4月28日閲覧。
- ^ 寺井暁子 (2017年12月28日). “「モアイ像」のイースター島で起きた独立運動”. 東洋経済新報社. 2018年10月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年1月2日閲覧。
- ^ 世界遺産オンラインガイドラパヌイ
- ^ Cooke 1899, p. 712.
- ^ Englert 1970, pp. 149–153.
- ^ クライブ・ポンティング著 石弘之・京都大学環境史研究会訳『緑の世界史 上・下』朝日選書 1994年
固有名詞の分類
- イースター島のページへのリンク