C-130B系列
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「KC-130 (航空機)」の記事における「C-130B系列」の解説
インドネシア空軍が受領したC-130Bのうち2機は、両翼下に給油ポッドを搭載できるようになっており、KC-130Bと称された。 1957年、アメリカ海軍航空試験センター(NATC)は2機のC-130Aをアメリカ空軍から借用し、独自に開発したホース・ドラム・ユニット(HDU)を収めたプローブアンドドローグ方式の給油ポッドを搭載して、海軍・海兵隊航空機への空中給油実験を行った。この成果を踏まえ、C-130Bをベースとして海兵隊向けの空中給油機が開発されることになり、最初の量産型は1960年1月22日に初飛行した。この時期、海軍も艦隊兵站支援飛行隊(VR)向けの輸送機としてC-130BをベースとしたGV-1を調達しており、海兵隊向け空中給油機も同じ名前で呼ばれていたが、1962年の命名法改正に伴う命名変更に伴って、海軍向けの輸送機はC-130F、そして海兵隊向けの空中給油機はKC-130Fと称されるようになった。 KC-130Fの給油システムは、KC-130Bのものがおおむね踏襲されていた。輸送機と空中給油機を兼用できるように設計されており、空中給油機として使用する際には機内に1,800ガロン(6,814リットル)の追加燃料タンク2基を設置できる。1,600キロ(868海里)を547キロメートル毎時(295ノット)で巡航しつつ、31,000ポンド(14,060 kg)の燃料を給油することができた。主翼下に装着するポッド(サージャントフレッチャー48-000)には燃料の収容スペースはないかわり、長さ91フィート(27.74 m)のホースを収容しており、また受油機から見やすい位置には送油の状態を示す3色のステータスライトが設置された。 ベトナム戦争中、海兵隊航空団は地上基地からの運用を行っていたが、A-4攻撃機が最大ペイロードで離陸できないという問題に対して、燃料をやや減らした状態で離陸した上で、離陸後にKC-130Fからの空中給油によって補うという運用を行っていた。また同戦争を通じて戦闘捜索救難(CSAR)用ヘリコプターの航続距離延伸の必要性を痛感した空軍は、海兵隊のKC-130Fを借用してヘリコプターに対する空中給油の研究に着手し、CH-3Eヘリコプターにダミーのプローブを仮設して、1965年12月17日には初の空中給油試験を成功させた。 KC-130Fは空母航空団の艦上輸送機 (COD) としても検討されており、1963年10月には空母「フォレスタル」艦上で実機を用いた運用試験が行われた。この試験では、カタパルトやアレスティング・ギアを使わずに発着艦を成功させており、重量25,000ポンド(11,340 kg)で航続距離2,500海里のCOD機として運用できると評価された一方、飛行甲板上にあるときには他の航空機の発着艦が一切行えない上に格納庫にも収容できないという問題があり、採用には至らなかった。 A4D-2N(A-4C)攻撃機に給油するGV-1(KC-130F) 「フォレスタル」艦上での運用試験
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