一国二制度
別名:一国家二制度、一国両制、一个国家、两種制度、一国两制
英語:One country, two systems、1 country, 2 systems
単一の国家の中に、異なる2つの制度が敷かれること。一般的には、中国において、特定の地域に本土と異なる制度が敷かれることを指す。中国の一国二制度は、2014年現在、旧イギリス植民地の香港と、旧ポルトガル植民地のマカオを対象としている。
一国二制度の対象となる地域には、中国本土の社会制度の一部が適用されず、高度な自治権や、独自の通貨および税制を持つことが認められている。また、中国本土では制限されている言論の自由や資本主義経済なども認められる。
一国二制度は本来、1970年代に鄧小平が、中国と台湾の間の問題を解決する手法として提案したモデルであった。しかし、一国二制度の適用は、台湾が中国の一部となることを意味することから、台湾では反対の声が強かった。中国は「一つの中国」の実現を目指し、台湾に一国二制度導入に向けた対話を度々はたらきかけてきたが、1990年代に李登輝は「一國兩府(一国二政府)」や「特殊的國與國關係(特殊な国と国の関係)」などの用語を掲げて反発する姿勢を見せ、のちの陳水扁、馬英九の時代にも、台湾は一国二制度のもとでの統合を一貫して受け入れてこなかった。
なお、一国二制度は恒久的なものではなく、50年間の期限が定められている。香港は1997年に、マカオは1999年に中国に返還されたことから、それぞれ2047年、2049年に一国二制度が終了する見込みである。
いっこく‐にせいど【一国二制度】
一国二制度
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/04 07:51 UTC 版)
一国二制度(いっこくにせいど)または「一国両制」(いっこくりょうせい、簡体字中国語: 一个国家、两种制度/一国两制、繁体字: 一個國家、兩種制度/一國兩制、英: One Country, Two Systems、葡: Um país, dois sistemas)は、中華人民共和国の政治制度において、本土領域(中国政府が対香港・マカオ関係で自称する際は「内地」)から分離した領域を設置し、主権国家の枠組みの中において一定の自治や国際参加を可能とする構想である。
注釈
出典
- ^ Far Eastern Economic Review, 1974, page 439
- ^ 《“一国两制”在香港特别行政区的实践》白皮书 中华人民共和国国务院新闻办公室
- ^ “中国、香港治安法の導入方針を採択 一国二制度が岐路に:朝日新聞デジタル”. www.asahi.com. 2020年5月31日閲覧。
- ^ “「イギリスが香港のために立ち上がらないことこそ危機だ」パッテン元総督”. Newsweek日本版 (2020年5月25日). 2020年5月31日閲覧。
- ^ “中国の香港国家安全法、G7サミットで議論を=元英香港総督 - ロイターニュース - 国際:朝日新聞デジタル”. 朝日新聞デジタル. 2020年5月31日閲覧。
- ^ “香港への国家安全法導入は国際公約違反、英米など4か国が共同声明”. www.afpbb.com. 2020年5月31日閲覧。
- ^ 「陳儀原擬呈之「台灣省行政長官公署組織綱要」」秦孝儀、張瑞成編、前掲『光復臺灣之籌劃與受降接收』152-157頁
- ^ 林文彪. “建議恢復為“中國人民解放事業貢獻出生命的愛國人士”陳儀先生故居並建紀念堂(市政協五屆四次會議提案)”. 2014年12月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年7月26日閲覧。
- ^ 建议恢复为“中国人民解放事业贡献出生命的爱国人士”陈仪先生故居并建纪念堂(市政协五届四次会议提案) .绍兴文理学院
- ^ “台湾・蔡英文総統独占インタビュー「日本によるワクチンの提供は、『まさかの時の友こそ真の友』の証です」”. 文藝春秋 (文藝春秋). (2021年8月10日). オリジナルの2021年8月10日時点におけるアーカイブ。
- ^ “「我々は台湾ではない」中華民国を悩ませる離島の現実”. JBpress. (2018年8月30日) 2018年8月30日閲覧。
- ^ “台湾なのに…人民元が流通、中国旗はためく島”. 朝日新聞. (2018年9月13日) 2019年8月21日閲覧。
- ^ “台湾の離島・金門県「一国二制度」の導入を提議―台湾金門県”. Record China. (2006年11月9日) 2018年8月18日閲覧。
- ^ “大陸委、親中姿勢の金門県副県長を批判/台湾”. 中央通訊社. (2018年8月10日) 2018年8月18日閲覧。
- ^ “台湾、中国に金門島への水・電力供給を要望”. 日本経済新聞. (2015年5月24日) 2018年8月18日閲覧。
- ^ “中台間に送水管開設 金門島、民意取り込み”. 産経ニュース. (2018年8月5日) 2018年8月18日閲覧。
- ^ 民主党沖縄ビジョン2008 民主党
- 1 一国二制度とは
- 2 一国二制度の概要
- 3 民主党沖縄ビジョン
一国二制度
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/05 07:56 UTC 版)
香港は一国二制度のもと、独自の行政・立法・司法権を持ち、独自の通貨やパスポートの発行など高度な自治が認められ、言論の自由・集会の自由・表現の自由などが認められた自由主義的な体制を取る。この制度は2047年までを期限としているが、2019年には中国本土への犯罪者引き渡しを可能とする「2019年逃亡犯条例改正案」が浮上。反発により同年10月には案は撤回されたものの、香港の一国二制度を脅かすものとして2019年-2020年香港民主化デモに発展した。これにより、民主派のリーダーとして知られる周庭や黄之鋒を香港警察は2020年7月に施行された遡及処罰可能な「香港国家安全維持法」に規定される違法集会に基づいて逮捕した。 一連の動きを受け、当時内閣総理大臣であった安倍晋三は2019年-2020年香港民主化デモに関連した香港の情勢不安に憂慮を表明。2020年5月28日には香港国家安全維持法が制定された事に対し、菅義偉官房長官は記者会見で「議決が国際社会や香港市民が強く懸念する中でなされたことや、香港の情勢を深く憂慮している」と述べた。同日、秋葉剛男外務事務次官は孔鉉佑駐日中国大使を外務省に呼び、「深い憂慮」を強く申し入れた。またG7共同で香港国家安全維持法に重大な懸念を表明し、一国二制度を脅かすものとして中国政府に再考を求めた。同年6月30日、茂木敏充外務大臣は、一国二制度の下で日本と香港のパートナーシップは築かれてきたと指摘しつつ「国際社会や香港市民の強い懸念にもかかわらず、『国家安全』に関する法律が制定されたことに遺憾の意を表明する」とする談話を出した。2020年7月1日、香港国家安全維持法が正式に成立し、日本は遺憾の意を表明。与党自民党の外交部会と外交調査会は7月3日の役員会で本法の制定を受け、中国国家主席(党総書記)である習近平の国賓来日を中止するよう政府に求める非難決議案をまとめた。二階派はこれに反発、中国外務省の趙立堅副報道局長 は「反中パフォーマンス」と表現し無意味だとし、日本の一部の人は他国の内政問題に言い掛かりをつけ、政治的にあおり立てていると批判した。同年8月には香港国家安全維持法により民主派のリーダーであった周庭の逮捕を受け、菅義偉が会見で重大な懸念を発表している。
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一国二制度
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詳細は「香港の政治#一国二制度」、「香港独立運動」、「香港民主化デモ」、および「マカオの政治」を参照 1997年にイギリス統治から返還された香港、1999年にポルトガル統治から返還されたマカオは、一国二制度(一国両制)の下、特別行政区として高度な自治権を有する。香港基本法により、高度な自治、独自の行政、経済および法制度を持ち、本土の法律は一部を除いて適用されない。間接選挙であるが、行政長官選挙が行われ、立法会では一部議員を直接選挙で選出している。さらに、参加資格を主権国家に限定していない国際組織への加盟や国際会議への参加も可能。
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一国二制度
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1997年のイギリスから中華人民共和国への返還の際、中華人民共和国当局は「香港返還後50年間政治体制を変更しない」ことを確約した(一国二制度)。それにより、特別行政区が設置され、ミニ憲法である香港特別行政区基本法の下、高度な自治権を有する。死刑制度も存在しない。ただし、外交と軍事は中央政府の管轄であり、外交部駐香港専員公署と人民解放軍駐香港部隊が設置・派遣されている。香港には中国共産党の組織は表向き存在しないことになっているが、近年では中央政府による香港政府への干渉が憂慮すべき水準に高まっており、プエルトリコやグリーンランド並みの「高度な自治権」ではなく、「半自治権」を有するに過ぎないとみるメディアもある。 基本法において、行政長官および立法機関である立法会(後述)の選出方法は、最終的に直接選挙に移行すると規定されているが、行政長官は少数(1200人)のメンバーからなる選挙委員会により選出される。立法会選挙においても直接選挙と、職能団体を通した間接選挙で選出された議席がある。 香港基本法付属文書によれば、2007年・2008年に行政長官・立法会の選出方法を直接選挙に移行することが可能なはずであった。しかし、当時の董建華行政長官は任期中に不景気が続いたことや、1997年の鳥インフルエンザへの対応の不手際、香港大学の世論調査プロジェクトへの介入が露呈したことなどが原因で不人気であったにもかかわらず、2002年に再選され香港市民の不満が高まった。それに2003年のSARSでの不手際、さらに基本法23条に基づく国家治安条例の制定を強行しようとしたことが重なり、ついに50万人が参加したとされる辞任要求デモが2003年7月1日に行われた。これに危機感を持った中華人民共和国当局は、2004年3月に全国人民代表大会常務委員会による基本法解釈を行い、2007年と2008年の普通直接選挙への移行を否定した。 2017年香港特別行政区行政長官選挙からは1人1票の「普通選挙」が導入される予定であったが、2014年8月31日に全国人民代表大会常務委員会は中華人民共和国政府の意に沿わない人物の立候補を事実上排除する方針を決定した。そのため、香港の民主化団体は中華人民共和国に抗議するデモ活動を行った。
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