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くろだ-きよたか 【黒田清隆】

(1840-1900) 政治家初名、了介。薩摩藩出身五稜郭(ごりようかく)戦いで功をたてる。開拓長官となり北海道開拓尽力1888年首相翌年条約改正交渉失敗辞職。のち枢密院議長などを歴任


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黒田清隆

黒田清隆
総理在職期間
     明21. 4.30~明22.10.25544
総理就任時年齢:47歳


近代日本人の肖像

国立国会図書館国立国会図書館

黒田清隆 くろだ きよたか

黒田清隆の肖像 その1
黒田清隆の肖像 その2

(注:この情報は、国立国会図書館ホームページ内の「近代日本人の肖像」の内容を転載しております掲載内容の複製については、国立国会図書館の許諾を得る必要があります。)


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黒田清隆

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/01/11 15:02 UTC 版)

黒田 清隆(くろだ きよたか、旧字体黑田 淸隆[1]天保11年10月16日1840年11月9日) - 明治33年(1900年8月23日)は、薩摩藩士陸軍軍人政治家階級陸軍中将位階従一位勲等大勲位爵位伯爵通称仲太郎了介

薩摩藩藩士として、幕末に薩長同盟のため奔走し、明治元年(1868年)から明治2年(1869年)の戊辰戦争に際しては北越から庄内までの北陸戦線と、箱館戦争で新政府軍の参謀として指揮をとった。開拓次官、後に開拓長官として明治3年(1870年)から明治5年(1872年)まで北海道の開拓を指揮した。開拓使のトップを兼任しつつ、政府首脳として東京にあり、明治9年(1876年)に日朝修好条規を締結し、同10年(1877年)の西南戦争では熊本城の解囲に功を立てた。翌年に大久保利通が暗殺されると、薩摩閥の重鎮となった。しかし、開拓使の廃止直前に開拓使官有物払下げ事件を起こして指弾された。明治21年(1888年)4月から内閣総理大臣。在任中に大日本帝国憲法の発布があったが、条約交渉に失敗して翌年辞任した。その後元老となり、枢密顧問官、逓信大臣、枢密院議長を歴任した。




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  1. ^ 学術誌、研究書、文部科学省検定教科書における歴史人物としての表記は「黒田清隆」、御署名原本における本人の署名は「黒田清隆」、『枢密院高等官履歴』における枢密院書記による氏名手記も「黒田清隆」である。印刷物では本字に統一するという慣例に従い、印刷局刊『職員録 明治21年(甲)』(1888年3月31日現在)における内閣総理大臣名の表記は「黒田淸隆」、同時代の新聞紙上での表記は「黒田淸隆」ないし「黑田淸隆」である。


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