甘露寺受長
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甘露寺 受長(かんろじ おさなが、1880年〈明治23年〉10月5日[1][2] - 1977年〈昭和52年〉6月20日[1][2])は、日本の華族(伯爵)。甘露寺家第35代当主。東宮侍従、侍従、侍従次長、明治神宮宮司を歴任した。官位は従二位勲一等[2][3]。
原文
- ^ 「明治神宮宮司 甘露寺受長氏挨拶」まずもって本日は大塚製靴株式会社が創立百年をお迎えになりましたことを心からお祝い申し上げる次第でございます。
私、今日ここにお呼ばれいたしましたが、さぞかし皆様どういう関係かとお思いになるかと存じますが、実は今の社長さんとは非常にご懇親いただいておるのでございますが、それよりも只今ご紹介いただきました明治神宮の宮司をいたしております関係をもちまして、この靴と明治天皇様との関係を皆様方万ご承知とは存じますけれども、ちょっと私の口から申し述べさせていただきたいと存じます。ご当社は明治五年にご発足になりましたのでございますが、なおその後明治十五年から明治天皇様のご用をおつとめになったのでございます。それから今日まで約九十年、宮内庁のご用達をおつとめになっているのでございます。明治、大正、昭和にわたって宮内庁の所謂ご用達をおつとめになっているということは何よりもおめでたいことと存ずるのであります。しかし、その間においてのご苦労のほどは専門家ではございませんから分かりませんけれども、さぞそれについてもお骨折りになったことと存ずるのでございます。
なお、自分のことを申しまして相済みませんが、私は、明治、大正、昭和にわたって宮内庁におつとめさせていただいて居りまして、その関係をもちまして、侍従の職を奉仕いたしました折には、時々お靴をご注文になります時の寸法をはかることもいたしました。笑話でございますが、直接に商人の方がおやりになることはなかったこともあるのでございます。ですからさぞかし見事なお靴ができたろうと思います。
余談でございますが陛下の御髪もかつては、靴と髪はちがいますけれども、バリカンで侍従がかったのでございます。それを今より五十年前、ご渡欧にお出になるときは、それではどうにもならないというので本職をお連れになってあちらにお出になった、そういう笑話もございますが、それと同じように、いつもご用をお取次ぎするときに、私も寸法をはかったもので、大変にご縁故が深いような気がいたします。このような席で笑話など申上げて失礼とは存じますが、そういうこともあったということを申述べて、今後ともに宮内庁のご用を末ながく、幾久しくされますことをここにお祈りいたしまして、私のお祝辞とさせていただきます。ありがとうございました。—『大塚製靴百年史:資料』, pp. 254–255, 資料26 創業満100年記念パーティの祝辞・祝電
出典
- ^ a b c 『平成新修旧華族家系大成』上巻, p. 477.
- ^ a b c d e f g h i 竹本佳徳 1986, p. 414.
- ^ a b c d e 藤本頼生 1986, p. 333.
- ^ a b 『平成新修旧華族家系大成』上巻, p. 476–477.
- ^ 『平成新修旧華族家系大成』上巻, p. 476.
- ^ 『皇室事典』, p. 588.
- ^ 『官報』第5888号, p. 3, 「叙任及辞令」.
- ^ a b 『皇室事典』, p. 587.
- ^ a b 藤本頼生 1986, p. 332.
- ^ 『大塚製靴百年史』, p. 363.
- ^ [現代人名情報事典 1987年 平凡社 300ページ]
- ^ 『大塚製靴百年史』, p. 520.
- ^ 『官報』第3533号, 「叙任及辞令」.
- ^ 『官報』第2727号, p. 5, 「叙任及辞令」.
- ^ 『官報』第1499号, 付録「辞令二」.
- ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。
- ^ a b c d e 『日本の上流社会と閨閥』 56-57頁。
- ^ a b 『門閥』 273頁。
- ^ a b 『門閥』 262-263頁。
- ^ 『閨閥』 403頁。
- ^ “和歌山FB「鬼滅の強打者」 甘露寺選手、目指す柱”. 朝日新聞. (2021年3月26日) 2021年12月28日閲覧。
- 1 甘露寺受長とは
- 2 甘露寺受長の概要
- 3 著作
- 4 参考文献
- 5 関連項目
甘露寺受長(かんろじ おさなが)
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「昭和天皇物語」の記事における「甘露寺受長(かんろじ おさなが)」の解説
裕仁の侍従。裕仁と、よく行動を共にする。裕仁にとっては、他の者にはなかなか話せないようなことも安心して話せる良き相談相手である。
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