さっぽろ‐のうがっこう〔‐ノウガクカウ〕【札幌農学校】
札幌農学校
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/13 04:21 UTC 版)
札幌農学校(さっぽろのうがっこう、英語: Sapporo Agricultural College)は、明治初期に北海道札幌に置かれた高等教育機関であり、現在の北海道大学の前身である。初代教頭クラークが学長を務めたマサチューセッツ農科大学(Massachusetts Agricultural College)をモデルとして、農学に限らず理学、工学、英文学等幅広い教育を行い、北海道のみならず日本の近代化を支える人材を輩出した[1]。
注釈
出典
- ^ a b 山本悠三『札幌農学校の理念と人脈』芙蓉書房出版、2020年。
- ^ “創基150周年について”. 北海道大学創基150周年記念ウェブサイト. 2024年3月10日閲覧。
- ^ “資料でたどる北海道大学の歴史”. 北海道大学150年史 編集準備室. 2020年12月4日閲覧。
- ^ a b c d e f g “開拓使女学校から札幌女学校へ”. 新札幌市史デジタルアーカイブ(ADEAC所収). 札幌市中央図書館. 2021年4月12日閲覧。
- ^ a b “開拓使仮学校・札幌学校(1872~)”. 資料でたどる北海道大学の歴史. 北海道大学150年史編集室. 2022年10月25日閲覧。
- ^ a b c 釧路市地域史研究会 『釧路市統合年表:釧路市・阿寒町・音別町合併1周年記念』 釧路市、2006年10月。
- ^ 半藤一利、小島直記 :気概の人石橋湛山 (2004)
- ^ 逸見 勝亮 (2007). “札幌農学校の再編・昇格と佐藤昌介”. 北海道大学大学文書館年報 2: 29 .
- ^ a b 原口征人,今尚之,佐藤馨一 (1999). “札幌農学校における土木教育”. 高等教育ジャーナル─高等教育と生涯学習 5: 111 .
- ^ 東北大学金属材料研究所(編)(2016)「片平の散歩道 金研百年の歩みとともに」河北新報出版センター
- ^ 『官報』第7269号、明治40年9月19日。
- ^ a b “農学校のカリキュラム”. 北海道大学附属図書館. 2023年9月27日閲覧。
- ^ “札幌農学校官制・御署名原本・明治十九年・勅令第八十四号”. 国立公文書館. 2023年9月27日閲覧。
- ^ “札幌農学校|日本歴史地名大系・日本大百科全書|ジャパンナレッジ”. NetAdvance Inc.. 2023年10月28日閲覧。
- ^ “札幌市時計台:時計台のあゆみ”. 2023年10月23日閲覧。
- ^ a b “歴史的遺産ガイドマップ”. 北海道大学. 2023年10月22日閲覧。
札幌農学校
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/12 07:12 UTC 版)
1877年(明治10年)7月27日知人川村某の斡旋により札幌農学校に第3期生として入学した。同期には斎藤祥三郎、1期上には岩崎行親、新渡戸稲造、内村鑑三等がおり、彼らとの学生生活は内村の『余は如何にして基督信徒となりし乎』に描写され、佐久間はイニシャルのSで登場する。 札幌在学中は熱心なキリスト教徒として酒・煙草を断って清教徒的な生活を送り、内村鑑三をキリスト教に引き入れたとされるが、後年には自身がキリスト教徒であることを否定している。
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