札幌農学校の教授へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/08 14:10 UTC 版)
卒業後は開拓使御用掛となる。1881年(明治14年)11月、宮部は開拓使により東京大学へ派遣される。これは将来の農学校教師にするためで、南鷹次郎(駒場農学校へ)と共に国内留学することとなった。1883年(明治16年)、札幌農学校助教に就任、植物園設置の計画立案を命じられる。この準備として、翌年6月から8月にかけて道東への植物採取を行っており、日高地方・北見地方・千島列島(色丹島、択捉島、得撫島)に至る調査となった。 1886年(明治19年)7月、植物学研究を目的としてハーバード大学への留学に旅立つ。1889年(明治22年)まで留学し、帰国後は札幌農学校教授となり、植物園主任に就任する。のちに植物園の初代園長を務める。
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