札幌農学校第3農場とは? わかりやすく解説

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札幌農学校第3農場

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/17 03:23 UTC 版)

大学村の森」の記事における「札幌農学校第3農場」の解説

この地はかつて北海道大学前身である札幌農学校第3農場所在した場所である。農場範囲を後の住所区分表現すると、おおよそ20 - 49条東1 - 8丁目に相当する面積1906年明治39年12月31日時点で314.49ヘクタールあった。 農場開設契機は、1886年明治19年11月札幌農学校佐藤昌介が、北海道庁長官岩村通俊提出した札幌農学校組織改正意見であった。この意見書の中で佐藤は、農学校営業主義基づいて農場管理し、それによって得た収益農学校資金として扱えるようにする法律制定求めていた。佐藤意見受け入れた岩村長官は、道庁所属する土地一部農学校移管させ、1889年明治22年)には札幌郡札幌村烈々布土地363ヘクタール農学校の物となった。 しかし同年2月制定され会計法により、官庁資産所持することが禁止されたため、農場経営得た収益農学校維持資金にすることはできなくなった1890年明治23年3月農学校附属農園開墾地道庁返還し農学校卒業生の親睦団体札幌同窓会」がその払い下げ受けて、これらの土地を第1、第2、第3農園称した烈々布土地そのうちの第2農園で、小作農が行われた。 その後札幌農学校文部省直轄となり、資産から生ず利益学校歳入組み入れることのできる「官立学校図書館会計法」の適用対象となった。そこで1895年明治28年4月札幌同窓会すべての農園農学校寄付した農学校道庁から交付され諸々土地合わせて、第1から第8までの農場区分し直し烈々布土地第3農場となった太平洋戦争後に行われた農地改革では、北海道大学所有する土地試験研究地であり国有地であることから対象外とされたものの、結局1950年昭和25年)に農場第1次解放進められた。同年北海道大学それまで法文学部法経学部文学部分割し本州から多く教官招き入れた。そして第3農場跡地である北27 - 28条東2 - 4丁目のニレ切り開き新任教官住宅を約80戸建設した。周辺の住民は、この住宅地大学村呼んだ

※この「札幌農学校第3農場」の解説は、「大学村の森」の解説の一部です。
「札幌農学校第3農場」を含む「大学村の森」の記事については、「大学村の森」の概要を参照ください。

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