開拓長官
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/14 06:44 UTC 版)
開拓使は、樺太開拓使が置かれた明治3年(1870年)2月13日から明治4年(1871年)8月7日の間は、名称が「北海道開拓使」。 代氏名就任日出身備考1鍋島直正 明治2年(1869年)7月13日 (肥前国佐賀藩主・知藩事) 開拓次官に清水谷公考(明治2年(1869年)7月24日 - 9月13日)、黒田清隆(明治3年(1870年)5月9日 - 明治7年(1874年)8月)初代鍋島・清水谷は実務に取りかかる前に退任したため、2代東久世・黒田が実質的に開拓使事業を開始 2東久世通禧 明治2年(1869年)8月25日 京都(公家) 明治4年(1871年)10月15日に東久世通禧が侍従長に転任して以降は、黒田清隆が次官のまま開拓使のトップに立つ 3黒田清隆 明治7年(1874年)8月2日 薩摩国 島津領 明治14年(1881年)、十年計画の満期を見据え開拓使の廃止方針を固めるが、開拓使官有物払下げ事件が起こる 4西郷従道 明治15年(1882年)1月11日 薩摩国 島津領 参議、農商務卿兼務
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