髙梨氏庭園とは? わかりやすく解説

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髙梨氏庭園

名称: 髙梨氏庭園
ふりがな たかなししていえん
種別 名勝
種別2:
都道府県 千葉県
市区町村 野田市上花輪
管理団体
指定年月日 2001.08.13(平成13.08.13)
指定基準 名1
特別指定年月日
追加指定年月日 平成21.07.23
解説文: 高梨氏江戸時代通じて上花輪名主務めた豪農で,現在の邸宅敷地において醤油製造始めたのは寛文元年(1661)のことと伝える。江戸時代後期になると,江戸川近く物資の運搬めぐまれていた野田醤油製造拠点として発展し高梨氏はその中核的な存在として成長した高梨氏庭園は,このような下総地方特有の醤油製造による財力背景として生まれたのである
 邸宅敷地江戸川を西に臨む段丘上の縁辺部に位置し西端弧状堀割がめぐる。屋敷は東を正面とし,冠木門から玄関に至る導入部中程明和3年(1766)銘の棟札遺る長屋東面して建つ。屋敷中心部分は文化3年(1806)建造数寄屋書院で,これに連なる主屋建築群は明治後期から順次改築され昭和初期に現在見る屋敷構え完成した高梨氏に伝わる家相図によると,江戸時代後期書院前面に池や流れ中心とする庭園築かれたが,明治時代以降主屋建築群の改築に伴い江戸時代以来屋敷地割踏まえつつ堀割石垣などが整えられ庭園にも新たな装いこらされたことがうかがえる
 高梨氏邸宅江戸時代後期のこの地方における豪農屋敷雰囲気残しており,堀割石垣書院主屋,門長屋などの配置関係から,当時屋敷立地環境地割などと庭園との関係をうかがい知ることができる貴重な事例である。また,明治後期から昭和初期にかけて主屋茶室増改築順次行われ建築庭園近代的な意匠加わり江戸時代以来地割環境極めて良好に融合しつつ独特の景観形成された。現在の書院前庭部景観は,広がりのある芝生地に飛石のみを配した単純で平明な雰囲気持っており,他の近代庭園意匠とも共通する特徴備えている。また、掘割石垣近接する茶室「眺春庵」からは江戸川眺望が可能であった考えられ江戸時代以来立地地割生かした構成となっている。同時に背後堀割に添って帯状連なるカシワケヤキ樹林帯は,江戸時代以来書院前庭部背景をなすとともに周辺の環境において邸宅全体外観象徴するのである
 書院前庭部をはじめ、掘割石垣茶室など立地生かした外部空間全体の構成勝れており,江戸時代地割近代的要素とが融合して形成された,この地方における貴重な庭園である。観賞上の価値学術上の価値はともに高く,よって名勝指定し保護図ろうとするものである
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