陥落・大関特例復帰
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/07 05:38 UTC 版)
江戸時代には大関に在位した力士が翌場所に平幕以下に陥落した例も存在したが、当時は現在とは全く違う基準で番付を作成していたため参考にはしにくい。看板大関の制度が存在した時代の番付は必ずしも実力本位のものではなく、また看板大関がそもそも一時的な大関といった扱いのため、実力が大関相応とされる力士が現れた際には地位を明け渡すことが前提であった。看板大関廃止後は実力本位で番付を作成するようになったが、それ以降にも明治時代までは大関に在位した力士が翌場所に平幕へ陥落した例が存在する(最も新しい例は1900年(明治33年)5月場所の鳳凰馬五郎)。明治時代もまだ番付編成は現在と大きく異なっており、一ノ矢藤太郎や大碇紋太郎のように勝ち越していながら降格となった者も存在した。その後も大正時代までは1場所で大関から即陥落も制度上存在し、実際に1場所で降格となった力士も存在する。大関陥落については江戸時代以来長らく明確な基準が無く、特に地位を保証されてはいなかったため、関脇以下の力士との兼ね合いでは大関の勝ち越し降格も当時の感覚では不自然なことではなかった。 1927年の東京相撲と大坂相撲の合併以来の諸制度の確定の中で大関の地位が確立し、「2場所連続負け越しで陥落」の基準が定着した(ただし、1929年〈昭和4年〉から1932年〈昭和7年〉までの2場所通算成績などで番付を編成していた時代には、必ずしもこの限りではない)。なお、戦前までは大関からの陥落は必ず関脇になるとは限らず、小結まで落とされた例も存在する。また昭和以降大関の力士で陥落したのちに、大関へ復帰を果たしたのは、汐ノ海が最初のケースとなった。 1958年(昭和33年)に、年間6場所制度が実施された時には、2場所では厳しすぎるとして、3場所連続の負け越しで関脇に陥落と改定された。ちなみにこの規定の下で大関から関脇に陥落した力士は、松登と若羽黒がいる。ところが、今度は甘すぎるとする批判が相次ぎ、1969年(昭和44年)7月場所より現行の「2場所連続負け越しで関脇に陥落、直後の場所で(取組日数による現行の規定で)10勝以上を挙げた場合は特例で復帰できる」とする規定が定着した。この現行規定の下で大関特例復帰を果たした力士は、三重ノ海・貴ノ浪・武双山・栃東(2回)・栃ノ心(関脇以下で現役)・貴景勝(現役大関)の6人・7例ある。この特例によって大関に復帰した場合は、昇進伝達式は行われない。なお、翌場所の関脇陥落が確定している力士も、翌場所の番付発表の前日までは大関としての待遇を受けられる。 また、魁傑と照ノ富士は大関陥落後、この特例によらずに好成績を重ね、通常の昇進基準によって大関復帰を果たしている。この両者に対しては大関復帰時に昇進伝達式が執り行われているが、両名とも新大関のように決意表明は述べず「謹んでお受けいたします」とのみ述べている。 大関の地位で2場所連続負け越してしまうと、翌場所には関脇へ陥落する状況の現役力士陣を「角番(大関)」と呼ばれている。 又平成末期~令和初期には、2017年に琴奨菊と照ノ富士、2019年は栃ノ心(2度)と貴景勝、2020年は髙安、さらに2021年には朝乃山がことごとく関脇へ陥落し、翌場所に大関特例復帰のチャンスを懸けている(但し朝乃山は出場停止のため大関特例復帰できず、平幕へと陥落)。特に、2019年9月場所から2020年1月場所まで3場所連続で貴景勝、栃ノ心、髙安と陥落者が続出している。現役引退した豪栄道も引退場所で関脇陥落が決定しており、それも含めると4場所連続の関脇への陥落者が出たことになる。 かつては、関脇以下へ陥落した元大関が現役を続行する場合、十両への陥落確定を機に引退することが慣例とされ、古くは十両陥落が懸かる場所は「幕内角番」と表現されていた。そもそも大関在位中に引退するケースが大半だった。花田虎上は2021年9月場所中の自身のコラムで「私のかど番の時は、負け越して陥落したら引退させられた時代でした」と語っていた。元大関が十両に下がるケースは、大受のケースが永らく唯一のケースだったが、2010年代以降は、複数の元大関が十両以下に陥落している。 大受 - 1977年5月場所に陥落(西十両筆頭)、幕内復帰を目指したが、初日から3連敗を喫して途中休場、その後場所中に引退。 雅山 - 2010年7月場所(西前頭5枚目)に「大相撲野球賭博問題」の処分で同場所全休処分になり、9月場所に陥落(東十両2枚目)。この時は12勝3敗の好成績を挙げ1場所で幕内復帰。その後、2013年3月場所に2度目の陥落(東十両9枚目)、皆勤したが3勝12敗の大敗を喫して幕下陥落が濃厚となり、引退。 把瑠都 - 2013年9月場所に陥落(東十両3枚目)、左膝など怪我が完治しないことを理由に、場所前に引退。 照ノ富士 - 2018年3月場所に陥落(西十両5枚目)、6勝9敗。5月場所は東十両8枚目で0勝9敗6休。療養による復帰を選択して長期休場後、2019年3月場所、西序二段48枚目で土俵復帰。その後勝ち越しを続け、2020年3月場所、東十両3枚目で10勝5敗の成績を挙げ幕内復帰、翌7月場所で優勝(5月場所が中止のため)。さらに好成績を重ね、2021年9月場所で第73代横綱に昇進。 琴奨菊 - 2020年11月場所に陥落(西十両3枚目)、幕内復帰を目指したが、1勝5敗で迎えた7日目に引退。 朝乃山 - 自らの新型コロナウイルス対応ガイドライン違反により、2021年7月場所から6場所出場停止処分を受け、2022年1月場所に陥落(東十両4枚目)。翌3月場所には幕下に陥落(西幕下2枚目)。2022年7月場所、西三段目22枚目の番付から復帰し、三段目優勝を果たす。
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