大関として
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新大関で迎えた2018年7月場所、初日から5連勝と好調だったが6日目に玉鷲に敗れた際に右足親指を痛め7日目から休場。新大関の休場は2000年5月場所の武双山以来でこの場所は、稀勢の里も初日から、白鵬は4日目から、鶴竜は6日目からと3横綱が全員休場しており、さらに栃ノ心の休場で3横綱1大関が休場となった。これは1999年3月場所以来(横綱・曙、貴乃花、若乃花、大関・千代大海)の緊急事態となった。17日に再出場しないことを発表し新大関で負け越し、9月場所はいきなりのかど番になる。9月場所前の8月29日に稽古を再開し、幕下と三段目の力士計4人と26番。土俵を割る場面もあり、「体が相撲の感覚を忘れている」と話した。30日に関取衆との申し合いを再開し、出稽古に来た御嶽海らに10勝6敗だったが立ち合いで腰高になることが多く、得意の右四つになるまで苦労し、「駄目だね。気持ち良くない。思い切り相撲が取れない。当たれない」と本人は不満の様子だった。9月1日、都内のホテルで大関昇進披露パーティーが行われた。母国の先輩力士である黒海、ジョージア駐日大使のレヴァン・ツィンツァゼ、小川直也も参加し、小川直也は壇上で栃ノ心を祝福していた。9月場所は右足親指の状態が思わしくなく10日目を終えて6勝4敗と微妙な成績。しかし、14日目になんとか勝ち越して角番を脱出。千秋楽も同じ大関の高安を送り出しで勝利し、初の角番の場所を9勝6敗で終えた。 2019年1月場所は初日から4連敗し、5日目から途中休場。3月場所を自身2度目の角番で迎えることとなったが、稽古場での取組の再開日は大阪入り後の2月27日であった。続く3月場所は9日目まで6勝3敗であったが、横綱・大関戦4連敗し、7敗と関脇陥落まで後のない状況になる。14日目には玉鷲を破り、角番脱出に望みをつないだ。しかし、千秋楽、大関昇進をかける貴景勝に敗れ8敗目、次場所での関脇陥落が決定してしまった。大関在位5場所での関脇陥落は、現時点で大受と並ぶ歴代1位タイ(前述の武双山は一度目の大関昇進後に2場所で関脇に陥落しているが、直後の2000年9月場所を10勝5敗と勝ち越して復帰しているため含めていない)。在位5場所において、一度も正東大関の地位に就かなかった。また、角番の場所で負け越しても、次の場所の番付発表までは大関として扱われるため、正式な大関陥落は次の場所の番付発表の日である。なお場所後に貴景勝が逆に3月27日付で正式に大関に昇進したため、5月場所の番付は3大関で番付上の大関の人数としては変わらないが、貴景勝の大関昇進から5月場所の番付発表までの期間は4大関となる。4月4日の春巡業豊岡場所では一門の小結・御嶽海、幕内・朝乃山を指名し、11番取って10勝と大関復帰に向けて好調をアピール。4月14日の春巡業常陸大宮場所では幕内の大翔鵬、阿武咲らを指名し、16番取って14勝2敗とここでも好調を示した。5月8日、うっ血した右ひざを改善するために、ヒルに血を吸わせる治療法を開始したことを明かした。ちなみに治療に使用したヒルはイタリア産である。同日の出羽海部屋での出稽古では御嶽海、同部屋の碧山、栃煌山と相撲を13番取って8勝5敗。大関復帰を懸ける5月場所は7日目に勝って自身初の自力勝利のみによる7連勝を記録。8日目に遠藤に上手出し投げで敗れ中日勝ち越しはならなかったが、9日目の貴景勝戦では不戦勝を得て9日目に勝ち越しを決めた。13日目の朝乃山戦では土俵際の際どい勝負を制して10勝目を挙げたかに思われたがこれに物言いがつき長い協議の末に敗れる。しかし14日目の鶴竜戦で注文相撲を仕掛けて10勝目をあげ、大関特例復帰を決めた。現行制度による大関特例復帰は、2005年3月場所の栃東以来5人目・6例目であり、外国人力士の大関特例復帰は史上初である。しかし大関復帰の7月場所は初日から5連敗し、6日目に「左肩腱板断裂、左肩棘下筋筋断裂、右膝前十字靱帯再建後再断裂、右膝半月板損傷、右変形性膝関節症で約1カ月の加療を要する」との診断書を提出して途中休場。9月場所は3度目の角番となる。 9月場所は、初日から2連敗し3日目に勝利するも4日目は阿炎のまげを掴み反則負け。5日目に勝つも6日目からまた2連敗。しかし8日目から3連勝し星を五分にする。11日目から貴景勝と御嶽海に連敗しもう1敗もできない立場に置かれる。13日目の竜電戦に勝つも14日目の妙義龍戦に敗れ、2回目の大関陥落が決定した。2回目の大関陥落となったが、この場所で一門の御嶽海が2度目の幕内最高優勝を達成しており、千秋楽の支度部屋では普段から御嶽海を稽古付けている身として大関陥落の悔しさを忘れて御嶽海を称えている様子であった。
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