開窟年代と石窟の種類とは? わかりやすく解説

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開窟年代と石窟の種類

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 11:47 UTC 版)

アジャンター石窟群」の記事における「開窟年代と石窟の種類」の解説

仏教窟であるこの石窟種類2種類あって、平地木造煉瓦造建てられていた精舎(ヴィハーラ)を石窟おきかえたヴィハーラ窟とブッダ象徴する聖なるもの」(チャイティヤ)として仏塔などが据えられチャイティヤ窟がある。アジャンターでは、9,10192629窟の5つチャイティヤ窟で残りはすべてヴィハーラ窟である。平地では中庭を囲むように僧室をつくるが、ヴィハーラ窟では、一面採光のために外部開き中庭列柱で囲むようにして僧室との間に回廊をつくる。一方チャイティヤ窟は、2層分の高さに天井高くして、天井断面半円形をなし、平面プラン細長い馬蹄形で奥の半円形部分仏塔配置する共通する特徴は、元来木造である僧院チャイティヤ堂を模倣することにこだわり垂木彫り込んでいる。 また開窟年代は、前期第1期)後期第2期)に区分される前期紀元前1世紀から紀元後2世紀サータヴァーハナ朝時代築かれている。ヴィハーラ窟としては第12窟、第13窟、第15A窟で、チャイティヤ窟では第9窟、第10窟で、おそらく比丘たちの生活、修行空間であったためにいずれも装飾少なく小型簡素な造りであった考えられる後期である5世紀後半から6世紀頃になると、ヴィハーラ窟は、奥壁中央仏殿設けられ本尊として説法印結んだ仏陀座像脇侍菩薩従えて安置され仏殿としての性格強くなる。つまり寄進者は、聖なる存在としての仏陀永久に残る住居である窟院をささげることに功徳見いだすという目的石窟築いた考えられる後期年代であるが第16窟、第17窟は、ヴァーカータカ朝(英語版)のハリシュナ王(位462-481)の治世寄進されたこと、アシュマカ族を制圧したことが銘文から読みとれる。またより新し時期思われる26窟では、アシュマカの大臣たたえる銘文見られ、ヴァーカータカ朝の支配揺らいだことを示唆していると思われる6世紀半ば考えられるアウランガーバード石窟寺院見られる特徴アジャンター見られないことを考えるとアジャンター年代6世紀半ばくらいまでに築かれ一部開窟途中のまま放棄されたと考えられる

※この「開窟年代と石窟の種類」の解説は、「アジャンター石窟群」の解説の一部です。
「開窟年代と石窟の種類」を含む「アジャンター石窟群」の記事については、「アジャンター石窟群」の概要を参照ください。

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